2009/07/21

6日目、マルチビタミン飲んでGO



情報を伝える。
これは、台詞の役割のひとつです。

蜷川さんは1日に何度か
「その情報は必要だから強調して」
というアドバイスをします。
ロシアの暦が12日遅れているのは大事な情報だから、
観客に聞かせないといけないのです。

「情報には階級がある」
という蜷川さんの言葉に、なるほどな、と思いました。
(経験上)役者は、台詞を
役の感情を表すためのものだと捉えがちです。
しかしそれは観客の貴重な情報源でもあるのです。
その情報に優劣をつけるのは役者の仕事で、
演じる人の解釈によって変わってくるものだと思います。
「情報には階級がある」
ということを肝に銘じて戯曲を読むと、
同時に自分の考えもはっきりしてくる気がします。
役の感情理解に没入してしまうと見逃しがちなことですが、
劇をまとまった作品にするためには重要です。


今日は女優さんの演技に感動しました。

ひとつは、
京野ことみさんが「ほっとして笑いながら踊り出す」シーン。
楽しげな音楽にのせて、木々の間を軽快に踊ります。
感情を増幅させることに長けているのだと思います。
観ているほうも思わず楽しい気分になります。
しかしそれだけではありませんでした。
蜷川さんが「試しに音楽をとっちゃおうか」。
わたしは「音楽がなかったら京野さんもノリにくくなるし、
楽しさを表現しにくいのでは?」と思ったのですが、
それはそれは、さすが京野さんです。
動きと笑い声を大きくして、
むしろ音楽アリの時よりも楽しさを表現してみせたのです。
もう、さすがです。
しかも音楽がなくなった分、京野さんの演技に集中できます。
「安堵感」や「怖い程の喜び」も読み取ることができました。
蜷川さんは役者を信じているから
助けとなる音楽をとる、という発想になるのですね。

もうひとつ、
美波さんの「死んだ姉を回想する」シーンです。
全く演技には見えない、素晴らしいものでした。
あの声の震えや動きの変容は、演技の技術ではなく
心から人の死を悲しんでいるようにしか見えませんでした。
女優の力を目撃しました。
さすがにこの演技には、涙を堪えることは出来ませんでした。

なぜこういった「心から」の演技ができるのでしょうか?

理由のひとつに経験があると思いますが・・。
特に「死」に対する深い悲しみや「生」の喜びは、
経験しないと分からないことのように思えます。

蜷川さんは
「普段から人生を分析しろ」
と言います。
何か心を揺るがす出来事があったとき、
自分はいったいどういった反応をとるのか。
役者は、お葬式でも自分を観察しなければならないのでしょうか?
つくづく怖い職業です。





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