2009/07/26

9日目、1冊終わりました


演出補の方に連れられ、
『NINAGAWA 千の目 第19回』
を見せていただきました。
隔月『埼玉アーツシアター』という読み物が
テイクフリーで劇場に置かれるのですが、
そこに載る蜷川さん×演劇人の公開対談。
今日は勝村政信さんでした。

「今回、どのようにして役を作っている?」
という蜷川さんの問いに勝村さんは、
「自分をノイズだと思ってやっている」と返答しました。
勝村さん演じるミハイル・バクーニンという役は、
声を大にしているだけで大した思想もないが、かなりの行動屋。
そんな憎まれ役が、「如何に愛されるか」に挑戦したいらしい。
また、翻訳劇というと役者は身構えてしまう。
「そんなお固い演技は嫌いで、その中でも自分は血の通った演技をしたい。
昔の貴族だって笑う時もあれば泣く時もある、
今と変わらない人間像を描きたい」

さすが勝村さん、だと思いました。
役をまっとうするだけではないのです。
俳優としても役としても「ノイズになりたい」という
独自の使命を背負っているところから、
舞台への真剣さ(と、ある意味の余裕)がうかがえます。


稽古を観ていたらすぐ分かることですが、
蜷川さんはあまり役者に動きの指示をしたくない演出家です。
役者が上手く立ち回れないときに限って
「◯◯してみるとか、◯◯するとかあるだろ!」
と、動きを細かく指示します。
蜷川さん曰く
「役者を道具として扱いたくない」
とのことです。
いままでさんざん役者を道具として扱ってきた私にとって、
これを言われると耳が痛い。

私はおそらく、役者を物として扱っています。
それは単に動きを指定するということではなく、
根本的に役者が自分の想い描く舞台を実現してくれている、
とでも思っているのです。
私は200億で3公演とも演出をしました。
稽古は演技力を基本的な水準に上げることと、
役者を自分の理想に近づけていくことに、時間を費やします。
事後反省ですが、私は役者の喜びを奪っていたのではないか?と。
自由に動ける、何でもできる、
戯曲を守ってさえいれば。
蜷川さんの現場を見ていると、
高度な役者は稽古場を「意思表示の場」としているように思えます。
「ぼくはこんな風に解釈した」という自分なりの戯曲への返答を
身を以て皆に提示する。
意見を言うことは怖いことだし戯曲を読み込む努力が必要だから、
レベルの高いことだとは思います。
でも、すごく楽しくてやりがいがあるにちがいありません!

蜷川さんの稽古を観ていると、どんどん自分に自信がなくなってきます。

ああ、私は何も分からずになんてことをしてたんだ!
みんなの楽しみを奪って、自分だけ満たされようとして!!!

しかしいまのところ、まだまだ同じことを繰り返しそうですね。
反省しているようで懲りていません。
「恐ろしく傲慢な演出家。
 でもいいものできるんならそれでもいいじゃないか!」
という思いに、作品つくり始めたら瞬時に戻りそうです。
最終的にそれぞれの手法だし
目指すものの違い・何を大切にしたいかの違いだから!
と、開き直り・・。

う〜んでもでも、
やっぱ役者の楽しみ奪っちゃだめ。




今日で、ついに第1部を全てやり終えました。
明日と明後日は稽古始まって以来初めてのお休みです。
とは言っても、スタッフさんは休まずに働くのではないかと思うのですが・・・
役者は各人台詞を覚え、リフレッシュしてくることでしょう。
また、29日が楽しみです。


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