2009/11/25

ここで報告をしていく。


このブログに、
アートパスの途中経過を、
衣装の写真や小道具の様子なんかを、
載せていく!
ので!


アートパ・・・・ス


アートパスがあと1週間後ということに

今日気付きました。



いいわけをしたくない!


・・にしても、やっぱりいろいろと
難しいことがあり、
出演者の体調、皆のスケジュール、
信頼関係、
音響、
衣装、
当日のお手伝い、
その他様々な確認!
おおおおおおおおおおおおおお!!!


できるのか?
これは本当に作品になるのか?
講評の日に
「わたくしが未熟過ぎたため、
 完成するどころか
 カタチにもなりませんでした」
とかって先生に土下座?!

いえいえいえいえいえいえいえ!!!



今日は200億のたくさんの荷物を、
学年部屋から倉庫に移しました。
じつにたくさんの物を。
思い出を。
苦労、協力、感動、裏切り、輝きを。

いったいなんだったのでしょう?
結局失敗だったの?

「劇団を立ち上げる!」

じつは高校のころから
思い描いていたのです。
まさか叶うとは思っていませんでしたが。
「芸大に入って、大学の仲間と劇団を作る。」

あんなにみんなのエネルギーが注がれて
3回も公演出来たのに!
あっけなく終ってしまうのかな。

片付けながら、わたしは
「この劇団200億の所持品を
 ぜんぶ利用して、
 解散公演したいね!」
なんて冗談めかして、笑いながら言ったけど。

200億の1年ちょっと。

その成果物は
倉庫に押し込まれたこの「荷物」?
行方を失ったかわいそうな「荷物」?
そんなことを思いながらの帰り道、
グスングスン。


きっと。
わたしが
「200億どうなんねんやろな〜アハハ」
とか言ってるうちは、
どうにもならないんだろうな。
「荷物」には埃が積もっていくだけ。
思い出や、せっかく繋がった人の縁も
どんどん薄れていずれ無くなる。
動かなければ!

決断を、しなければ!


2009/10/30

アートパスの脚本


アートパス(※)の脚本を考えています。

なんだか、浅いなぁ・・と思い悩んでいるところです。



生きていくって、すごく色んなことを含んでいて、
1つのものごとに何重にも複雑な意味があるんだ
と思うのですが。

どうにも、そういう作品が作れません、書けません。
まだまだ自分が浅いからでしょうか?
経験がないから?
考えていないから?


※アートパス
12月初旬にある、芸大の学生主体の展覧会。
東京藝術大学取手校地で4日間行われる。

2009/10/04

観ました千秋楽

拍手の嵐でした〜。

コーストオブユートピアも今日で千秋楽、
初日に負けない良い席でした!
近くにトムストッパードさんや野田秀樹さんがいて、
上演中、私はちらっちら2人の反応をうかがっていました。
周りに有名人がいっぱい居ました。
私も有名人なんじゃないかと錯覚。笑


劇は初日よりもかなりスムーズに繋がっていて、
若手の役者さんにも成長が見えました。

ただ、スムーズに進みすぎて、
お客さんの理解が追いついていない場面もしばしば。


それにしても、とっても良くなっていたと思います。


この千秋楽を観ることで、
私の夏休みがやっと終わった感じです。

そうです、終わりました。
2009年夏が終わりました。
私の充電期間終わりました。
いじいじ悩む純子も捨てました。


東京芸術劇場に傘を忘れたのと、
今日車と衝突したことを除けば、
いろいろ上手くいってるので
こんな感じで頑張って行きたいなー。


あ〜忙しい忙しい!!!

2009/09/14

お客様があっての演劇

コースト・オブ・ユートピア、初日を見ました。

演劇にはお客が欠かせないということ、
「ナマ」の意味を
強く感じました。
お客さんの反応(主に笑い)が舞台をさらに盛りたてます。
お客がいて、初めて完成体となるのです。

10時間。
終わりに近付くにつれ、客席と舞台(役者)が
どんどん打ち解けていくのがわかりました。
10時間だからこそ生まれる空気感。

コースト・オブ・ユートピアは大成功だと思いました。

2009/09/12

最終日

終わりました。
2ヶ月、短かった。
いや、長かった。

いろいろな方面で勉強になりました。
いい体験をしました。
たくさんの人と出会いました。
素晴らしいプロ業を見ました。
極上の向上心に包まれた2ヶ月間でした。


明日は初日。
私はお客さんです。
ドキドキします。

2009/09/11

47日目、責任は役者へ

4時間程で、やっと全ての場あたりを終え、
第1部の通しをしました。
今日も、私の注目は
通し後の蜷川さんの言葉でした。

稽古場でやった時の通しでは、
「みんなよく復習したね。よく頑張ったね、おつかれ。」
というお褒めの言葉でした。
しかし、もう、本番前最後の通し。
優しくはありませんでした。

全ての役者を集め、
「ダメ出しが全然なおっていない」
イライラ。

それもそのはず。
通し前の集合では
「直したところは絶対よくなっているから」
と蜷川さん。
場あたりが終わった以上、
演出家として出来ることは全て終わったのです。

あとは、役者さんが今までのダメ出しを
意識的に改善することにかかっています。

46日目、主演への・・

明日は通しの予定ですが、
場あたりは、演技指導を交えながら、やはり少しずつ進みます。
美術さんや役者さんがこのペースで大丈夫か?と不安を抱いています。
(絵を描いていたらいろいろ聞こえてくるのです。)


今日驚いたのは、
主演の阿部さんに対するダメ出しがあったことです。
稽古が始まって2ヶ月、阿部さんに対して
ほとんど演技の注意はありませんでした。
しかし、ゲルツェンが息子に自分の著書を渡す際の長台詞で
「伝わってこない」
と、グサッとくるダメ出しです。
蜷川さんいわく

声が低すぎて、感動的ではない。
もっと息子に対する熱い想いが出たほうがいい。

とのこと。

やり直し、やり直し、やり直し。
普段注意を受けない主演に対するダメ出しに、私は戸惑いました。

明らかに高いレベルを目指す蜷川さん、
主演のプライドを傷付けないように言葉を選びつつ、
厳しい内容のダメ出し。
それらを無言で聞き、改善しようと演技を繰り返す阿部さん。
なんとも重々しい空気でした。

「歳を取ると、次の世代に想いを伝えたくなるものだ」
と、蜷川さんの日頃の実感(?)も聞き入れながら、
阿部さんはだんだんと
熱いゲルツェンに変わっていきました。
ただ、残念ですが、
このシーンに感動的な音楽をかけることになってしまいました。
求めている感動は、演技だけでは表しきれないという
蜷川さんの判断です。
ただし現時点では、です。
私は信じています。
本番が始まったある日、
蜷川さんがこのシーンから音楽を取ってしまうことを。

2009/09/08

45日目、空間を広げる

今日は演技指導というよりは
役者の動きや舞台美術の直しメインでした。

劇場入りして蜷川さんが頻繁に口にしている言葉は、
「広げよう」
です。
客席通路を多用したり
舞台の下段を効果的に使ったりして、
舞台空間を広げようという試みです。
特に、台詞の無い時の役者を下段に配置することで
会話している人物が引き立ちます。
そうやって視界の整理とボリューム調節が同時に進んでいます。


自分の絵のことを言いますと・・
水野さんの肖像画ですが、
髪型があまりにも違うので上から書き直しです。
明日の朝、早めに行って描きます。
にしても、今日つくづく思いました。
このような一流の舞台の美術に少しでも携われて、
私は幸福です。


スタッフさんが今日の休憩中、
グッタリしているのを目撃しました。
稽古の間は俊敏な動きでテキパキと妥協のないスタッフさん。
疲れはピークだと思います。
本当に、公演が成功することを切に願っています。

44日目、——


どんどん進んでいきます。

演技指導や動きの指示が昨日より多かったような気がします。
「こんなこと(演技指導)出来るの最後だから」
と蜷川さん。
本当の本当に最後です。
10日に全通しをすると聞いています。
とすると、あと2日しかありません。
しかもシーンはどんどん進めていき、
もう二度と後戻りすることは出来ないのです。


今日は、演劇的に見応えのある場面をやりました。
“ マネの描いた絵と舞台上に居る役者が重なる ”
という、無理難題のト書き。(作家の挑戦状)
紗幕にマネの『草上の朝食』が映し出されます。
観客の集中力が切れてくるかもしれない2部ですが、
ここでハッとすること間違いなしです。


2009/09/06

43日目、ここにきて変更


変更、変更の嵐。
昨日は小道具の位置を変えましたが、
今日役者の動きの変更です。

特に変わったのが、2部1幕1場の長いシーンです。
埼玉の稽古場で位置を細かくつけて、
役者もそれに慣れていました。
「今までの稽古はなんだったんだ?」
と思わず考えてしまうほどの、大幅な動き・位置変更です。
次第にエスカレートしていき
「なんだか、いろいろ気になってきた」
と、蜷川さん。
動きに併せ、台詞のタイミングや間についても
細かい指示が続きました。
このシーンの役者に対して
「みんな下手になったぞー!」
と演出家は(笑いをとる調子で)言いましたが、
完成度が上がってきた故、
小さな粗が見えてきたのだと思います。


ある男優に
声を荒げて台詞の言い方を注意することも
ありました。
その俳優の癖で、
演歌のように独特な強弱をつけてしまう点です。

稽古場でも言われ続けていた事です。
劇場に来て、再度、
周囲が凍り付く程のかなり激しいダメだしです。
しかしその後、スタッフが転換の確認をしている間
優しくその男優を呼び寄せて、
長い間、台詞の強弱を正していました。


2009/09/05

42日目、舞台稽古


花粉症か、取手の我が家に帰ったからか、
鼻がムズムズするのでマスクをして劇場に向かいました。

廊下には、台詞練習やアップをする役者さん。
スタッフさんは忙しそうに動いていて、
私が劇場に着いた頃には
音響さんの音量確認が行われていました。
舞台を両側からはさむ形の客席には、
ニナガワスタジオやネクストシアターの役者さん方が
続々と見学にやって来ます。
私もその中に紛れて席に着きました。


稽古は主に、転換の練習です。
照明・音響・衣装・美術さんの手順を
再確認しながら進めていきます。
役者さんも立ち位置や動き、長い通路での演技始めなど、
各自確認していきます。

蜷川さんが照明との兼ね合いを見て、
あるシーンの小道具をほとんど取り払う提案をしました。
すると演補・助やスタッフさんが
素早く転換の手順計画を立て直します。

そしてスタッフが動き回っている間、
蜷川さんは役者への演技指導をします。


劇場で演じる役者さんを見て、
私は今日、驚いたことがひとつあります。
役者さんの声についてです。
劇場で、聞こえやすい人とそうでない人が
ぱっかりと別れたのです。
おそらく過去に正式な発声練習を通過した人と
そうでない人との違いだと思います。
宝塚や劇団四季、
その他の劇団やニナガワスタジオの方々の声は、
広い空間に「響く」のです。
客席から聞いていると、全く声の質が違うのです。
声量よりも、質です。

私は改めて発声の大切さを知りました。


2009/09/04

41日目、あかりあわせ


コクーンでの照明合わせです。
スタッフさんは昨晩泊まりの作業だったそうです。
劇場内には完璧な舞台が組まれていました。

照明合わせに参加させていただきました。
禁断の舞台上にあがり、
役者の立ち位置につきました。
ここ2ヵ月間役者さんの動きを見続けて、
「私にはこんなすごい事できないや」という諦めと
また舞台に役者として立ちたい憧れが芽生え、
複雑な心情でした。

今日、久し振りに舞台に立ち、照明を浴び、再確認しました。

私はやはり、役者をやりたい人間だということを。

どうやらあがり症だし、自分の演技に期待はしていませんが、
舞台上で何者かになる興奮を忘れられずにいます。
「演じたい」という欲望は、いったい何なのでしょうか?
なぜこんなにも多くの人間が、舞台に集ってくるのでしょうか・・。

2009/09/02

40日目、全通し


10時間30分に渡る、全通しです。
始まる前は、少し異様な空気でした。
いつもよりピリっとした緊張感が
稽古場を包んでいました。

そして・・
さすがです。
全通しだからといって、
役者にブレはありませんでした。
むしろ、今までクリアできなかった難題シーンが
良くなっていたほどです。


私がこの日、一番楽しみで注目していたことは、
全通し後の蜷川さんの感想です。
わたしだけではないと思います。
稽古場の役者さんやスタッフさんにとっても、気になることは
「さあ、初通し、演出家はどう思った?」
ということだと思います。
なぜならその演出家の言葉が、
この10時間という長い作品に奮闘した日々を
有意義にも無意味にもするからです。
もちろん大事なのは
演出家や観客の評価だけではありません。
しかし、確実に、それも大事なのです。

全通しが終了したのは、夜の10時前でした。
蜷川さんは、ごく簡単に
よくなっている、良い方向に向かっている、という風な総評をされました。
そして「2ヶ月、大変だったけどありがとう」という感謝の意を述べた後、
「明日の稽古はやめよう」という突然の休日宣言。
といっても、スタッフは小屋入りに向けて作業が多々あるはずなので、
休暇をとれるのは役者さんのみですが。


蜷川さんの好評を聞いて、
皆、疲労は抱えながらも、和やかな雰囲気で
さいたま芸術劇場最後の稽古が終えました。

2009/09/01

39日目、3部2幕かえし


1部をかえした時に不在だった役者さんがいたので、
今日の前半の稽古は1部の抜きでした。

蜷川さんから全員に、
個人の描写を追求せよ
とのアドバイス。
「その人だけ追ってても楽しいっていう風になればいいね。」

いま、絵で言うと
大方の形は取れて、どんな色にするかもいろいろ試して、
あとはタッチを決めてガツガツ描き込んでいく。
といったところではないでしょうか。

様々な挑戦をしかけてくる役者も、かなり増えました。
「ここで嬉し過ぎて失神するんです」
という若手男優のアイデアには、
思わず笑ってしまいました。
観ている私も興奮するような、
何が出て来るか一瞬一瞬が楽しみな稽古場です。


抜き稽古が終わり、長めの休憩がありました。
その時、2階からぼーっとながめていたのです。

阿部さんの周りに半円になって台詞合わせをする俳優たち、
ひとりで台詞を唱え続ける人、
ある俳優さんをつかまえて真剣に話し合う演出補佐、
あ!じゃれて笑った!
つられて演出助手も笑った!
動き続けるスタッフさん、
ちょっと息をつく音響さん、
そして
演出席から稽古場全体を何処となく見ている蜷川さん。
蜷川さんは、
アスパラベーコン巻きのベーコンであり、
山芋短冊巻きの海苔だと思いました。
せめぎあう人々の才能とか個性とか努力を
みんながバラバラにならないように優しく纏め、
進むべき道へ誘導する。
みんなの味を潰さずに、むしろ引き立てる。
演出家・蜷川さんはそういう方です。


私は随分年老いた気持ちで
「ああ幸せだなあ」
なんて思っていました。
ここは間違なく、高め合う場所です。
和やかだけど、怠けは許されない。
みんな必死だけれど、笑顔がある。
私は、この稽古場にいる時間がとても好きです。
いつまでもこの雰囲気に浸っていたいと思います。
このまま見学エキスパートになって生涯を終えるってのも
ありだなあ・・なんて。
いえいえ、私が今後目指すのは、
自分でこういう集団を作り、芸術作品を制作することです。


2009/08/31

38日目、3部1幕かえし


劇場に来る観客は予想だにしないでしょう・・
稽古場で勝村さんと水野さんが格闘技しているなんて。

さてさて
8月最後の日。
案外、蜷川さんや稽古場の雰囲気は和やかです。
しかし役者さんの自主練からは、
以前にも増して真剣さが感じられます。
にぎやかで明るいのですが、
どこか張りつめている。そんな印象の稽古場です。


今日のヤマバ、
何度も止めてやり直したのは
ミハイルバクーニン(勝村さん)とゲルツェン(阿部さん)の
2人のシーンです。
舞台上に飾りは全く無く、
男2人、真剣勝負。

「上手くいってない。
 おれの理想はもっとすごい。壮大だ。」
という言葉から、蜷川さんの
このシーンに懸ける想いが伝わってきました。
普段はほとんどダメ出しを受けない2人ですが、
今日は違います。

特に勝村さんにとっては
役に対する根本的な理解力が必要とされる、
かなり重要なシーンのようです。
「バクーニンのたましいがゲルツェンを励ます」
という高度な要求がありました。

2009/08/30

37日目、2部2幕かえし


今日は選挙なので、いつもより1時間遅くスタート。
2部の2幕を昨日のように、
ところどころ止めながら進めていきました。

「劇場に入ったらもうこんなこと出来ない」と、
ある若手男優Mの1時間に渡る特訓がありました。
その特訓の目指すところは、
『Mさんが演技を通して他者に向き合い
心の揺らぎをあらわにする』ことです。

蜷川さんから様々な指摘がありました。

・言葉に意味がない
 自分のものになっていない
・ブツブツ切れすぎ
・正面を見過ぎ
 スクエア、水平になってる
・べらべら言ってる(状況からすると、絞り出して言う言葉)
・力んでいる

そして細やかなアドバイス。

・符号を使う
  人類共通のルールを使って、解説的に。
  例えば「悩んでいる」ということを伝えるために
  うつむいたり声のトーンを下げたりする。

・自分でイメージを持つ
  共演の阿部さんの目は、いろいろ問いかけてくる。
  それに対して答えようとしたり、
  答えられなくて目をそらして考えたりすればいい。

  「かたくなに」(ト書きにかいてある)自分を正当化しようと
  考えながら言葉を絞り出す
  →役の心のブレが見えてくる
  →結果、役の本音を見せられる

・役が使い慣れているであろう言葉はスラスラと

・演劇はもっと自由だと考える
 演劇だからってべらべら喋る必要はない


Mさんはかなり苦労しています。
根本的な演技の問題なので、
注意されてすぐに直るものではありません。
しかし『コースト・オブ・ユートピア』を通して
今回これらを乗り越えることが出来たら、
Mさんにとって今後大きな財産になること間違いなしです。


その他、本日のメニュー。

◉ただの喜劇と大人演劇との演技の使い分け
  「こんなところシリアスにやったらバカバカしい」喜劇のシーン
   ・台詞の間を詰めて、速く言う  
   ・わがまま女のつまらない悩み
     →大げさに嘆く
    くだらない初体験の話
     →気軽に、雑に
  「ヨーロッパ風の男女の関係」大人のシーン
   ・男女の複雑な関係を微妙なやりとりで表す
   ・関係のない動きは極力無くす

◉劇場規模を考えた演技の要求
  シアターコクーンは大きくて天井が高いため、空気を作りにくい。
  なので低空飛行の演技では飽きてしまう。
  声が小さいと、観客が耳をすまさなければならないので、辛い。

◉2部の終わりに、新演出が加わる
  ゲルツェン(の病気の息子)がパリへ行くことを許可され
  妻子・友人と喜びながら去っていくシーン。
  蜷川さんはある工夫をする。
   →結果、
    喜びの裏に待ち受ける悲しみ(息子も妻も死んでしまう)が
    上手く感動的に表現された。

2009/08/29

36日目、2部1幕かえし




藤井千秋さんの抒情画と、地獄絵です。
この2つの絵、
同じ人類が描いたと思えないです。


本番に向け、スタッフが続々と増えていきます。
新聞などの取材の方々も来ていたので、
稽古場はかなりの人数です。


今日は昨日よりも慎重な返しでした。
昨日1部を全て終えたのに対し、
今日は2部の1幕目のみです。
(その分、昨日より2時間半ほど早く終わりました)


本日はこのような内容でした。

◉オガリョーフ(石丸さん)の台詞の心理とその表し方
  親友の浮気を「おもしろい」と言うに至る、2つの想い
   蜷川さん的解釈)
   ・親友をかばう気持ち
   ・親友の妻の悩みを少しでも軽くしようという思いやり
  否定の意志を行動で表す(本の投げ方)
  重要な話題かそうでないかの優先順位を意識せよ

◉2部あたまのシーンの不明瞭な部分を解消
  このシーンで観客に感じ取って欲しいこと
  ・まだ職もない青年たちが田舎でくつろいでいる
   未熟ではあるが、キラリと光るものを持っている
   特にツルゲーネフは作家の素質が言葉からにじみ出ている
  ・なんとなく不揃いな、ずれているような不安定さ
   今後の波乱を示唆
  その為には
   ツルゲーネフ(別所さん)
   オガリョーフ(石丸さん)
  の現時点での特徴を明らかにする

◉子供がコマを回し、それを見つめる大人たちの心情
  新しく演出を加え、それぞれの想いがより明瞭に観客に伝わるようにする
  同時にナタリー(水野さん)とゲオルク(松尾さん)が
  今後親密な関係になるということを示す
  →演出家の戦略アリ。
   このシーンは過剰なくらい、親切に、観客へ丁寧に伝えます。
   「そうすると客が今後もディテールを見てくれるようになる」

◉昨日同様、ツルゲーネフ(別所さん)の性格形成
  →蜷川さんの中ではかなり出来上がってはいるものの
   実際、なかなかそれに到達しません。
   ダメ出しされた箇所はクリアしますが、
   カラダにはまだ染みついていない感じです。
   今後も課題になりそうです。

◉転換の手順確認

◉音響の変更


2009/08/28

35日目、1部かえし


ついに、始めに戻りました。
今日は1部の1幕と2幕を両方やりました。
稽古時間はなんと約7時間。
おそらく明日は2部、明後日は3部を全てやると思うので、
集中力と体力勝負です。

さて、今日の1部の通しについてですが、
全くブランクを感じさせないものでした。
3部の稽古をやっている時、役者さんは
稽古前に早く来て、
自主的に1部の頭から稽古していたのです。
そのやる気が、今日の結果としてあらわれました。
ブランクを感じさせない、というより
以前やった時よりもスムーズに演技が運ぶようになっています。
決めた動きも、完璧にこなします。
さらにベテラン役者さんは、
演技中にユーモアを織りまぜ、笑いを誘います。

スタッフさんもさすがです。
今日のために、何度も打ち合わせや
転換の整理を繰り返したのだと思います。


本日蜷川さんがこだわった点は、以下です。

◉ツルゲーネフ(別所さん)の人格形成
  別所さんの目指すツルゲーネフ像を軌道修正

◉ある若手女優への発音、台詞の言い方注意
  稽古の初期から言われ続けている語尾の問題
  (もうこれは、本人が必死に繰り返し唱えて、
   正しい言葉に慣れるしか無いと思います。
   稽古場の皆、彼女が克服することを待ち望んでいます。)

◉ある若手男優への台詞の言い方注意
  演歌みたいに色がつく独特な言い回しを指摘し
  強調箇所を細かく教える

◉池内さんと毬谷さんが思いやるシーン
  池内さん演じるベリンスキーが
  驚くほど心に深い傷を負ったこと、
  毬谷さん演じる貧しい娼婦が
  案外利口で洞察力のある女性であるということを、
  丁寧に役者に演じさせる

◉長谷川さんと池内さんのシーン
  長谷川さん演じるスタンケーウィチが
  病気でかなり弱っていて、
  もうすぐ死んでしまうことを観客に印象づける
  同時に、
  それをいたわり介抱する池内さん
  という構造を、細かい動きの指定によって整理する



全体的に、役者さんの努力と思索によって、
キャラクターが明確になってきつつあります。
哲学オタクの男性陣や、女優では麻美さんなどが、
どんどん自由になっています。
生き生きして、人間味あふれる舞台に向っていると思います。

終わりがあるということに


いつ気付いたのか。

自分はいずれ死んでしまう、それは仕方ないということを、
私はいつ理解したのか。


お昼ご飯を食べている時に思ったのです。
食べる前は、食べ物の味とか
食べるということそのものに、心躍らせます。
しかし、
食べて味を認知して、
食べるという行為に慣れてきた時、
「食べ終わること」が目的となり
終わりへのカウントダウンが始まるのです。
だから、食べることは虚しいのです。

食べることだけではありません。
例えばランニング、寝る、映画を観る、などもそうです。


私は人生を終わらせることを目的にしたくありません。
大事にしたいのはその中身、内容です。

2009/08/27

8月最後の休日です


今日は稽古はお休みです。
なので以前から気になっていた
ランチバイキングに行くことにしました。



「与野公園入口角徒歩30秒」
というあまりにもアバウトすぎる指示に従い、
探検気分で与野公園へくり出しました。
しかし、広い与野公園には入口がありすぎて、
公園をぐるりと回ってみても、このようなお店は見当たりません。
探検は諦め、看板に記された番号に電話をかけてみることにしました。
すると・・ナカムラさんが出ました。
お店はもうつぶれてしまったようです。
このお店のランチバイキングを食べる為に休日を心待ちにしていたので、
とても悲しい気持ちになりました。
後始末を忘れずに、
思わせぶりなことはしてはいけない、
今日学んだことです。


気を取り直して、ブリヂストン美術館に行きました。
名画に癒されました。
「わあ!あの絵、素敵」
と近付いてみると、マティスやピカソやルノワールなんです。
やはり巨匠と称されるからには理由があるのですね、
人々を惹き付ける力があります。
上手く説明出来ませんが。

その他、いままで知らなかった面白い画家を発見しました。
とても有意義な芸術鑑賞でした。


夕方、池袋の東京芸術劇場に行きました。
野田さんの『ザ・ダイバー』の当日券が手に入らなくて
店が潰れていたのと同様、悲しい気持ちになりました。
(なんと、コースト・オブ・ユートピアの稽古見学をされている
 ニナガワスタジオのMさんも、当日券の列に並んでいましたが
 GETならず。)
『But-a-I』の野外舞台に日比野先生がいらっしゃいました。
ご挨拶して、その後、Mさんと共に刺繍作業に加わりました。


ペアとお話したり、無心になったりしながら
ただひたすら単純作業を繰り返す、
楽しいひとときでした。



大学の同級生ハマーもこのワークショップに来ていて、
お互い近況報告をしました。
クラスの友達と話すのは久しぶりで、
これまた楽しいひとときでした。

夏休み、同級生や高校の上京組はバラバラに散ってしまいます。
この大きな休みの間、
旅行や帰省・その他様々な目的でみんな大忙しです。
稽古見学は毎日観てばかりだし、
見学が終ったらひたすら絵を描くし、
このままいくと口の筋肉が固まってしまうのではないかと思う程です。
口を動かしたいです。
(なるほど。最近の異常な過食はこういう理由だったのだ。)

2009/08/26

34日目、いよいよ


肖像画はついに完成だ!もうこれ以上描けない!
と思ったら・・
髪色変更です。あらあら。


いよいよラストシーンの演出も終わり、
次の稽古は1部の始めからになります。
これから舞台稽古までの約1週間、
演出家はどのようなことをしていくのでしょうか。

演出家が今後1週間でやっていくであろうことを、私なりに考えてみます。
【各キャラクターの確立】
  特に話を進めていく主要なキャラクターについて。
  また、哲学者らにより性格の違いを作る事によって、
  9時間という長丁場に耐えうるため
  作品に強度と人間味を加えていくことでしょう。
【観せたいものが優先順位通りに表れているかの確認】
  演出家的こだわりの追求。
【新解釈の導入】
  稽古が始まってから、もう1ヶ月以上経ちます。
  後半の演出をやるうちに新たに気付いたことや、
  戯曲の読み込みによる新解釈が、あるはずです。



上記とは関係なく、ものすごく個人的な感想をいいますと・・・
私は、石丸さん演じるオガリョーフが大好きです。
悩みつつも、すべての現実を受け入れようとする寛容さ。
皆を包み込む温かさ。
万人を愛します。
友人の失敗も許します。
傷ついた人をそっとフォローします。
オガリョーフは妻を次々と寝取られ、
とても可哀想な役なのですが。
石丸さんが舞台上で見せる笑顔から、
辛いことがあってもめげない
オガリョーフの力強さが伝わってきます。
もう、本当に大好きなのです。
こうなったらオガリョーフが好きなのか
石丸さんという役者が好きなのか
わからないくらいです。
しかし、ここで問題が。
オガリョーフが登場すると、
彼に過剰に気持ちを動かされてしまうのです。
可哀想で可哀想で・・
「あ、もう、このやろーナターシャ!」
といった感じです。
私が演出家だったら、
演出家の特権を使って
オガリョーフを擁護してしまいそうです。

また、別所さん演じるツルゲーネフも
とても良い役だと思います。
こちらには恋はしていませんが。
私としては
「こうみえても、いじられ役」
という感じが今より出たらいいなと思います。
身長が高くて顔が良く、
詩的でかっこいいツルゲーネフ。
しかしひょうきんな一面があり、
友人にいつまでも叶わなかった恋のことを言われ続ける。
ツルゲーネフは人に害を与えない、愛されキャラです。
きっと、田舎の血が流れていて、
のんびりとした時間を持っているのだと思います。

私はこの戯曲が好きです。
この戯曲に登場する人間が好きだからです。


2009/08/25

33日目、男の友情


1時間以上にわたり、
休憩も無しにこだわり続けたシーンがあります。
ミハイル・バクーニン(勝村さん)がシベリアから脱走してきて、
ゲルツェン(阿部さん)、オガリョーフ(石丸さん)と
久しぶりに再会するシーンです。

蜷川さんはこの戯曲を読み解くときに、
「男の友情」をひとつの大切なテーマとしているようです。
なぜなら、男の友情の表現にこだわるのは
これが初めてではないからです。

そして男の友情の最大値が、
まさにこの場面なのではないでしょうか。

ミハイルは暴力的な思考ゆえ、
ゲルツェンとオガリョーフに長い間会わないうちに
相変わらず波瀾万丈な生活を送っていました。
革命に参加したことで逮捕され、要塞へ。そしてシベリア流刑。
いろいろな苦労を乗り越え、
容姿もすっかり変わってしまいます。(太ります)

ゲルとオガは、ミハイルが脱走したことは聞いていても、
まさかゲルツェン宅にやってくることは思いもよらないのです。
しかも見違えるほど太っているので、
一目ではミハイルであると分からないのです。

演出家の指示無しにやったとき、
阿部さんと石丸さんは
まるで不審者が入って来たかのような反応をします。
 これは誰だ?ミハイルか?
 いや、ミハイルがまさか・・
と、不審に思う時間をタップリとっていました。
それに対して蜷川さんは
「受け入れて笑顔になるタイミングを早くして」

その後、何度も何度も指示とやり直しを繰り返し、
爆発的にはしゃぐ男たちを作り上げていきました。

ミハイルが来た驚き、
会わない間の苦労への心配、
そして会えた喜び。
相変わらず嵐のように登場するミハイルと
その元気さ力強さに巻き込まれる
ゲルツェンとオガリョーフ。

この構図がはっきりと分かる、
とても興奮度の高いシーンになりました。


このシーン、
ここまで激しく「男の友情」色を濃くする演出は、
蜷川さん独自のものだと思います。
私にはない発想でした。
私の場合なら、目先の面白さにとらわれてしまうと思います。
(嵐のように転がり込んでくる太ったなれなれしい男、
 誰だ?という戸惑うゲルとオガ、
 そして「太ったな」というゲルツェンの第一声。)

しかし完成したものを観て思いました。
このシーンはやはり蜷川さんのように
男の友情を優先させたほうが、
ずっと人間味と説得力のある舞台になります。


豊永、惨敗。


2009/08/24

32日目、解釈の自由


戯曲を自分の感性で読み解いていくことは、
楽しくてやりがいのある作業だと思います。

この現場では、解釈を演出家が独り占めすることはありません。
見学に来る前は、これほど大きな団体だから
さぞかし徹底した解釈の統一(もちろん演出家による)が
行われるのだと思っていましたが。

例えば音響。
音響さんが自由な発想で戯曲に書かれていない音を稽古で流します。
「天地がひっくり返った」というト書きに対して、
ガラスが割れたような音を流しました。
結局ここは役者の演技だけで表現しようということになりましたが、
蜷川さんは音響さんをおおいに評価しました。

また、役者にも人物像や言動の理由、ト書きの表し方など、
あらゆる場面で解釈は託されます。
今回の戯曲ですが、登場人物が全部で70人を越えるとか・・
それだけ壮大な物語であれば、
当然いろいろな解釈が発生するし、
解釈の違いによって印象の違いがひらいていくでしょう。

蜷川さんが、
「娼婦って何?」という台詞のある役者さんに
こんな質問をしていました。
「その言葉は、本当に分からなくて言っているのか?
 それとも知っていてあえて当てつけで言っているのか?」
細かな解釈(選択)によって、
キャラクターが形成されていく。
これも、人物像を左右する重要な選択です。
役者さんは
「本当に分からなくて言っている」
と答えました。
蜷川さん自身も、この選択の答えは用意していたはずです。
しかし、意見を言わずに役者に尋ねるところから、
解釈が託されていることがわかります。

衣装や美術に対してもそうです。
各自の読み解き方で自由に発想していきます。
「◯◯であるはずだ」という決めつけをなるべく
排除していかなければならないので、
自由な発想というのは、なかなか難しいものです。


もちろん、蜷川さんが何も言わないわけではありません。
譲れないポイントがあったり
より効果的な見せ方がある時には、
すばやく指摘します。
しかし
「違うだろ、そこは◯◯にしなきゃおかしいだろ」
という決めつけた言い方ではなく、
「◯◯にしてくれるかな」
「◯◯でやってみてくれる」
など、指示が「提案」調です。


私はこのことを受け、
何でもかんでも自分の解釈が一番だと思い
自分色に染め上げようとしていた過去を振り返り、
自己反省の日々です。
今後、この稽古場のようにみんなで読み解く環境を
作っていけるのでしょうか?
怪しいところです。
なぜなら、もうすでに
この稽古場に対しても
「いやいや、私だったら絶対こうするけどな」
とか
「こうしなきゃ変でしょ!」
などという意見を言いたくてしかたない時がしばしばあるのです・・・

2009/08/23

31日目、よい演出家とは



昨日、上手くなったと感じた若手男優ですが、
今日は特にそう思いませんでした。

思いおこしてみると、
昨日は台詞にリズムの変化がありました。
この役者さん(Hさん)はいつも句読点の間がありすぎて、
台詞がブチブチと切れてしまうのです。
蜷川さんが一昨日こう指摘していました。
「Hは、論点をきちきちと言うから、頭が良さそうに見える。
 こういう人は、論争で他の役者(例えば俺)に勝つ。
 それはHの特徴だが、一方で
 人間として血が通っていないと誤解されてしまう。
 人間性を疑われる。」

この指摘を受けて、昨日は意図的に
台詞のリズムを変えたのではないでしょうか?
今後この役者さんは
句読点を厳守してブレスをいれるのではなく、
時には長い台詞をひとつづきに言ったり、
思いがけないところに間を作ったり・・
私たちが日常でよく「感情のままに」喋るように、
時折リズムの崩しをいれていけば
さらによくなると思います。


なぜこんなことを書くのかと言いますと・・
これは私の練習です。


私は今まで、
良い演出家が役者指導において
一般の人より、圧倒的に優れた洞察力を持っていると
考えていました。
しかし最近、
演出家の「良い」と「悪い」の分岐点は
違うところにあるのだと思うようになりました。

演劇を知り合いと観に行った時、たいていの場合、
良かった役者・良くなかった役者の答え合わせは一致します。
みんな分かるんだと思います。
なんとなくいいな、
惹き付けられるな、
という程度であればどんな観客にも不思議と。
日常で「空気をよめる人・よめない人」がいるように、
個人差はありますが。

私だって、稽古を見学していて
役者の演技についてとやかく思うことがあります。
しかし
それを「言葉」にして役者に気付かせ、
良い方向に導いていけるかどうかが、
先程述べた(最近発見した)演出家の分岐点なのです。
蜷川さんの指摘を聞いて、
「そうそう、私もそう思っていました」
ということはあっても、
私自身、蜷川さんが話したような事を言えるかといえば・・
まったくもってそうではないのです。

この役者が「なんとなく」良いか悪いか
という曖昧なジャッチで止まるのは、凡人です。私です。
しかしそこから発展し
・どこがどう良い、悪いのか → 分析
・まるで◯◯みたいで    → 役者本人に気付かせる
・どうすればいいのか    → 対策
という項目を確実に言葉にして伝えられる力があって初めて、
役者指導におけるいい演出家だと周りに認められるのではないでしょうか。

2009/08/22

30日目、終わりに近付く


昨日読み合わせた場所の、立ち稽古でした。

やはり演出は役者の様子を見ながら
同時進行で行われます。

劇も終盤に差しかかったということで、
観客への配慮もみられます。
7・8時間観劇した、疲れや集中力切れへの配慮です。
場の雰囲気を舞台美術でガラっと変える、など。

今日の稽古を観て、
私は、ある若手男優が演技の技術を上げたのではないかと思いました。
しばらく出番のないシーンが続いた方です。
でも、毎日のように稽古に来ていました。
腕を上げたのではないかということについて、
まだ十分な確信は得ていません。
なので、明日の稽古で再び彼の演技を注意深く観ようと思います。


2009/08/21

29日目、ああ考えてない私


今日は3部の2幕に入り読み合わせのみだったので、
稽古時間も短めです。

最近、考えなきゃだめだなあと思う機会が何度かありました。
稽古を見学して、
爆笑問題の芸大特集を見て、
テレビで精子バンクについて議論してるのを聞いて、
演劇を観て・・・

考えようとしなければ見過ごしてしまうことがたくさんあると思います。
考えなければ自分の意見もまとまらないし、
今後の方向性も見えて来ない。


2009/08/20

28日目、スクエア


『ビデにまたがる女』
ドガの模写です。

『ナタリーの肖像画』
以前のものは稽古用で、今日から本番用を描き始めました。


蜷川さんは役者へのダメ出しの時、
「スクエア」という表現をよく使います。
初めて聞いたときには何のことか理解できなかったのですが
最近はもう分かります。

それは硬い演技や柔軟でない発想を意味します。

例えば動きです。
客席・舞台を意識しすぎて
言葉通り「しかくい」動作をしてしまう時です。
直角な移動、
床に対し垂直な姿勢、
カラダに軸が通っているかのような振り向き。
これらは観ていて不自然で、時として
「ああこれは演技なんだ」と観客を夢から覚ましてしまうことになります。

また、先程「柔軟でない発想」と書きましたが
戯曲の言葉から役の心情を推察せず、ごく普通にやってしまう時にも
「スクエアだ」というダメ出しがはいります。
言葉がただ綺麗に発語されているだけでは
役が置かれた状況や、生きてきた人生の厚みが
観客に伝わりません。


「スクエア」の役者さんを、蜷川さんは崩していきます。
ほぐす、とも言えるかもしれません。
「声を潰すようにして。」
「変化球投げて。」
「人に寄っかかったり。」
役者の動作が不自然な時には
実際に動きを指定することもあります。


日常の生活で「スクエア」の人はいません。
舞台に立つと、緊張すると、あるいは
演じることにリアリティーを感じられないと、
この「スクエア」が病気のようにやってきます。
こういうわたしも完璧な「スクエア」役者なのですが(自覚症状あり)、
ここから抜け出す薬があれば高い金出してでも買いたい、という感じです。
あらゆる「スクエア」役者にとって、
自分が柔軟な演技で舞台上を生き生きと駆け回れたなら・・と
本当に「スクエア」を脱することが望みなのです。
今よりどんなに演じることが楽しくなることか。

生まれ持ったもの、もしくは経験がものを言う
と思っていたのですが、
自ら姿勢を崩したり
声を変えたり
舞台上の他の役者と関わったりすることで
少しずつ改善していくものだということがこの稽古見学で分かりました。

2009/08/17

26日目、私の心の流れ(前半)


稽古見学が始まって、1ヶ月が経ちました。
刺激的な毎日でした。

蜷川さんの創造の瞬間を目撃出来る!と感動し、
名立たる役者陣を前に緊張した初日。
「さすが」の連続でトキメキ続け、
蜷川さんの演出を一言も逃すまいとペンを動かし
右手は軽い腱鞘炎に。
稽古のレベルの高さに見入り、
スタッフの行動の速さに驚く毎日。
一方で、稽古場の張りつめた緊張感に馴染めず
てきぱきと動くスタッフの隣で見学者という居場所のなさに悩み、
へとへとに疲れ。

そんな状況にもやっと慣れてきた頃に、
突然舞い込んだ絵の話。
「わ・・わたしに出来るかな?!」と思いつつも
貪欲に食らいつき、巨大な絵を描くことに。
モデルに似てないし上手くないし
立体感が出ないし思い通りの色が出せないし、
作業場で他のスタッフが居る中で描く心細さ、緊張。
そういうものにくよくよ悩み始める。
それに加えて今までの自分の制作態度を悔やみ、
なけなしの自信も喪失。
たたみかけるような孤独バースデー。
気を抜いたら涙が出てしまうほど
何故か自分を追いつめる日々。暴飲暴食。
そんな時に先生や先輩や親や友人に助けられ、
徐々に前向きに。
絵が一区切りしてホッとしたせいか、
稽古場に行く時間が遅くなる。
生活も堕落する。
さすがにいけないと思い、再び自分を律することを誓う。
そんなこんなで昨日の夜、帰り道。
「わたしは何でも出来る。」


昨日、次に描く絵「ビデにまたがる女」のキャンバスを買いに、
新宿に行きました。
久しぶりに演劇も観ました。
良かったです。正統派でした。
オリジナルの史劇で、戯曲に厚みがありました。
演出にも一部挑戦がみれて上手いと思いました。
その演劇の言わんとしていることはこれです。
「隠されていることは知らないままの方が幸せだ。
 真実を知ったところで何になる?」
とてもテーマがはっきりしていたので、見る人の誰もが
この問題を考えさせられたのではないでしょうか。
わたしも帰り道、この事を考えていました。
演劇のこと、自分のこと、人生について。
電車に乗る人々を眺めながら
世の中にはいろいろな人間がいるなぁ、と感じました。
あまりにも当たり前のことですが。
急に深い実感のようなものがありました。

そういうわけで、家につく頃には
「わたしは何でも出来る。」
という考えに至っていたのです。(笑)

絵の件に限らず、
わたしが頼まれるようなことは、
わたしは必ずやり遂げることが出来ると思います。
(誰もわたしに3億円貸してとは言わないはずです)
わたしが頼まれるようなことは、
わたしは必ずやり遂げることが出来る。
本気になれば。
努力すれば。

時間的な衝突はどうにもなりませんが、
怠けや甘えを制することは出来ます。

こういう時期も長くはないかもしれませんが、
今、自分の身に降り掛かっていることはすべて
頑張りたいと思います。


2009/08/16

25日目、さすが&さすが


このブログを始めて、何度「さすが」と書いたことでしょう。
今日は2つの「さすが」があります。


ひとつめ。

昨日課題だった3部3幕頭。
新たな登場人物がたくさん、しかも
同じ俳優が名を変えて出てくるシーンです。
複雑で初見の観客にとってはなかなか難解です。

昨日は完成せずに稽古を終えましたが、
今日稽古が始まって1発目にやってみると、
なんと!素晴らしいシーンになっていたのです!
話者があちこちに飛び、観客がついていけないと思っていました。
しかし見事に目線の誘導に成功し、
美しさまで感じさせる完成度でした。
ということで、ひとつめは役者さんへの「さすが」です。


ふたつめ。

ネタバレになるかもしれないと思い、ブログには伏せていたことがあります。
しかし限界です。言っちゃいます。
演出家はこのシーンに、ある工夫をしているのです。
それは「スローモーション」。
台詞は普通の速度で、動きだけスロー。
昨日の稽古の時点では、このシーンをスローモーションにすることが
果たして成功なのかどうか、私には分かりませんでした。
しかし今日のものを観てしまったからには言い切れます。
成功です。
スローモーションにすることで
観客は俳優の動きを追う余裕が生まれ、
悪口を言い合う登場人物の構造が分かりやすくなりました。
さらに
この場面の間ずっと舞台を覆っている白いカーテンと相重なり、
幻想的で美しい「夢」のトーンがよく出ています。

登場人物がゆっくりとはけていく中、
転換もスローで行われます。
椅子や机を床に付けたまま丁寧に押して出てくる様子は
物が自動的に動いているかのように見え、不思議な体験でした。

蜷川さんの的確なアドバイス、もともと力のある俳優のさらなる努力、
この2つが合わさり
本当に素敵なシーンが生まれました。

役者への信頼、
「スローモーション」というチョイス、
そして役者を導く的確なアドバイス。
ふたつめの「さすが」は演出家に向けてです。

2009/08/15

24日目、一丸となって


3冊目に突入しました。

いつも1日3場ぐらいのペースで進めて来ましたが、
今日やったのは1幕の1場のみです。
しかしこのシーン、とても難しいものでした。

新たな登場人物がたくさん出てきて、
話があちらこちらに飛んでいきます。
しかも1幕で主要な役をしていた俳優が
再び違う役に扮して登場するので、
観客は混乱することでしょう。
もはや頭では処理出来ない複雑さなので、
役者や演出家にとっても大変です。

まずは、
読み合わせで役と俳優を一致させることから始まりました。

そこで蜷川さんのお話。

「イギリスでは主役3人ぐらいを除き、
 大物の俳優であっても快く何役でもやる。
 波の布を扱うことだってやってくれる。」
 →「主要な役の人でも」「有名な俳優でも」
  というところを強調しているところからみて、
  蜷川さんがとても役者さんに気を使っていることがわかります。

「イギリスの俳優や観客はそれでなれているけれど、
 日本は慣れていない。
 あるゆる俳優が複数の役を演じるという前提が、日本にはない。

 ここで制作さんにお願いしたいのは
 事前にこの演劇がこういう構造をしていることを
 観客に伝えておいてほしい。

 俳優は、上手く別人みたいにデフォルメして。
 そこは大物だから大丈夫だと思う。

 観客がパンフレットを見始めたら負け!」
 →この、「これは勝負だ!」と挑む態勢が蜷川さんらしいです。
  これを聞いたら誰もが「よし頑張ろう」という気になると思いました。


次は立ち稽古です。
観客に分かりやすくする為のダメ出しが続きます。
・位置に気をつける
 台詞が終ったらいつまでも同じ場所に留まらず、
 両側の客席を意識しながらみんなに顔を見せていく。
・寄り過ぎないように
 (一方で、「そこ、グループで固まれ」という指摘も)
・観客の目線を操る
 喋る時に歌舞伎みたいにふっとカラダを大きく見せると、目線がいく。
 名前が出た人の方を見たり、周りの反応をやや大きくする。

要するに、
みんなで協力し合わないと
このシーンは良くならないということです。

自分が舞台上で主張するところと
他の人を立てるところ、
俳優はこれらを判断しながら位置を決めていかなければなりません。

ある俳優が、独自の判断で面白いことをしていました。
ハンカチで靴の泥を取るために、
皆が立って歩いている中、しゃがむのです。
そして自分の台詞が来たときに、
立ち上がってハンカチを掲げました。
蜷川さんはそれに対して何も言いませんでしたが、
こういったそれぞれの工夫が生きるシーンだと思いました。

2009/08/14

23日目、2つのシーン


今日は対照的な2つのシーンの演出でした。

・男女関係のこじれで荒れ狂う激情のシーン
 (参考として稽古始めに見た映画:
   ケネス・ブラナー『ハムレット』
   ピーター・ブルック『雨のしのび逢い』)

・死んでしまった妻子、和やかな仲間たちとの思い出のシーン


22日目、読み立ちのバランス


2日間休みがあったせいか、少しのんびりした雰囲気でした。

新しいシーンに進む時にも
急に立ちではなく
読み合わせを1・2回やりました。
読み合わせを挟むと、少し稽古が失速します。
最近は
読みをせずにいきなり立ち稽古、
ということがざらにありました。
しかし今日は丁寧に読みを挟んでいきました。

そんなこんなで2冊目も、(読みですが)最後までいきました。
稽古が始まって1ヶ月です。


写真はありませんが、朝、稽古用の絵が完成しました。
背景を少し足して、肌を全体的に白く塗りました。

そしてついに、舞台上に我が子(絵のことです)が登場しました。
恥ずかしいような複雑な気分でしたが、
激しい非難などが無かったのでとてもホッとしました。

本当に、ホッとしました。
家に帰ってアイス食べて爆睡してしまいました。

稽古場での緊張と、絵を描く時の肩身の狭さ
また、近頃やたらと心をむしばむ孤独感にけっこう疲れていたみたいです。
こんなことで疲れるなんて!
昔より打たれ弱くなっています。

なにはともあれ。
『ビデにまたがる女』の絵も頼まれたので
間接的に「私でいいんだ!」と察し、元気快復です。


2009/08/12

休み

昨日は過去の名画を観に、
上野にある国立西洋美術館に行きました。

あんなに美術館を楽しんだのは初めてだと思います。

絵を描くって、似せることだけじゃない。
作家の存在が見えてくるものほど生き生きしていて面白いと思いました。


正直、絵っていまいち理解できませんでした。
劇場は好きだけど、美術館の楽しみ方はよく分りませんでした。

でも、自分で一生懸命絵を描く経験をしたおかげで、
なんだか絵画を楽しめるようになったみたいです。
特に、筆のタッチに興味がわきます。
画家が何を表現しようとしたのかがタッチからうかがえる気がします。

明日の朝、心を弾ませて筆を握ることが出来そうです!

2009/08/10

21日目、10分演出家スピーチ

「文学者の傲慢に付き合うつもりはない」

昨日もブログに書いた、演出家を悩ませるシーンのことです。

普段は、なるべく削りなるべくシンプルに
役者の演技で勝負する蜷川さんですが、
このシーンについては凝った仕掛けを発案します。


稽古場内でも2・3人しか知っている人がいないような絵画です。
舞台上の人物とダブらせ、その上
「本当はこの人達は違う場所にいます」ということは、
聴覚だけではとうてい伝えきれない、という演出家の判断です。

「このシーンは生意気なの。苛立つ!」
「このト書きは出来ない」

しかし、必ず最後に付け加えます。
「僕は作家を尊敬している」

明日は休みです。
美術館にでも行って、絵の表現を見て来ようかと思っています。

2009/08/09

20日目、演出家キラキラ


↓描きました

演出見学のつもりが、思わぬところでスタッフ部屋入り。
これは稽古で使う用のニセ油画です。
あと2日後くらいにこの絵が必要になるシーンに入るので、
超特急です。
必死で描くので、どうか、水野さんに似ていってください!



若手俳優へのアドバイスは
自分に置き換えて聞いています。

もちろん演出家志望として
ダメ出しをするタイミングや内容が
大いに勉強になっています。
また一方で、
自分が今後役者をする時のために
忘れずに覚えておきたいコツがたくさんあります。


なかでも覚えておきたいのは、
「役の言動に、自分の日常を当てはめる」ことです。

人と人との間で絶えず発生する「気まずさ」や
「苛立つ気持ちを抑える」ことは、
誰しもが今まで何度も経験してきたことです。

よっぽど特殊なものを除いて、
普段日常で起こりうる人間のあらゆること・またはその誇張の連続を
舞台上で役者が演じることが、演劇だと思います。

しかし、いざ役者をやっていると
ついつい頭でっかちになり
あれこれ考えなくてもよいことばかり難しく考え、
結局この「日常のあるある」を忘れて演技してしまうのです。
・・まあこれは私の場合だとは思いますが・・
どっちにしろ、
「あ、こういう空気感あじわったことあるな」
「あの時のシチュエーションと一緒だ」
と、自身に引き寄せて役の言動を理解できれば、
あとは再現すればいいだけ・・・です。
これがまた難しいところではありますが。



今日の稽古の後半は、
作家の無理難題に対する
演出家の戦いでした。
売られた喧嘩は買うしか無い!

マネの描いた『草上の朝食』と
舞台上の人物がダブり、
しかも同じ舞台上にいながら
2チームに別れていて、
2つの話が絡み合うように進んでいく・・

何ですかそれ!と無視したくなるト書きですが、
ここを舞台にしてみせるのが、演出家の腕の見せ所です。

「ほぼ即興で」の蜷川さんも、
このシーンに関しては
あらかじめ大まかな演出法を考えており、
稽古場全体にざざっと説明します。

その後の稽古場がシーンと静まった感じ・・。
演出法について、それぞれ立場によって思うことがあったのだと思います。

私はというと、
「そう来ましたか!ブラボー
 ひゅーっ!さすが!
 絶対面白くなる!
 あ〜でも悔しいな。なんで私もそれを思いつかなかったんだろう。」
ってなことを思っていました。

スタッフさんにとってはなかなか難しいことで、
「さあどうしよう」と
考えているようでした。

経験上
考えてきた演出法を発表するのは楽しみであり、
一方で大変緊張する瞬間だと思います。

私から見て、
今日の演出法発表の時の蜷川さんは
キラキラしていました。
自信があったように思えます。
「これだ!」と思っていたのだと思います。
その演出家の見えている理想図をぜひとも実現させたい、
きっと素晴らしいはずだ!と、
見学でありながらも思いました。

これです。
「キラキラした演出家」


夢を持った人間には
人が付いていくのだ


2009/08/08

19日目、切り上げる

稽古場の空気を読むことも演出家の仕事です。

今日は役者待機席がちらほら空いていました。

蜷川さんは稽古場全体の空気を感じて、

「みんなそろそろ疲れてきちゃったかな?」

と、稽古前に。


そしてなんと!本日の稽古を3時間で切り上げたのです!

「みんな飽和状態でぼーっとしてるから

 役者さんは台詞覚えたり、

 スタッフさんも休むなり何なりしてね」

たしかにここ2日間、6時間くらいの長い稽古が続いたので

疲れが隠せなくなってきたのかもしれません。

6時間といっても

役者もスタッフも1・2時間早く来て、

稽古が終ってもそうすぐに帰ることはありません。

スタッフさんなんて、毎日9時10時まで残って作業してるそうです!

そう考えると、

稽古場の滞在時間はかなり長いのです。


私の劇団では、みんなの都合を聞き、

より多くの役者さんが参加出来る日時を割り出して、

予定表を作ります。

そして休みの日をねらってバイトや用事を入れるわけです。


コースト・オブ・ユートピアの稽古が始まる前に「あれ?」と思っていました。

予定表がないからです。

(顔合わせの日、舞台稽古に入る日、などの

 大まかな予定が書かれている用紙はありましたが、

 後は全部空欄になっていました)

テレビや雑誌でも活躍するような役者さんばかりだから、

さぞかし綿密な、分単位の予定表が組まれているのであろうと

思っていたのですが・・・。


逆です。

次の日の予定は、稽古終わりに決定します。

稽古場には、大きな模造紙に手書きで書かれた予定表があります。

そこに次の日の集合時間を書き込んでいくのです。

ということは・・・

役者さんは「2ヶ月まるまる」

この演劇に予定を空けておかなくちゃなりません!

おそらく他の仕事もされていると思うのですが、

これは、私たちにはありえないことですね。

私たちだったら「バイトしないと生活費が!」ってわけです。


この格差。


また、稽古場が固定であるということがかなりの強みです。

小さい劇団は自分達のアトリエを持っていないことが多いので

公民館などの格安な場所を必死で探して、

いち早く予約して場所をおさえておく必要があります。

公民館の空き具合によって稽古日程が左右されることがざらにあります。

(稽古したい時期はいつも大学が閉まっています。怒)

ということで、早く日程を割り出さないと

町のお琴教室に先を越されるのです!


この格差。


この格差

  格差・・・


私たちに、というか私に、

勝ち目はあるのでしょうか。


描きました

ネットでいろんな肖像画を見ながら、
水野さんの顔をはめ込んで描いてみました

が・・・

あまりにも水野さんに似ていなくて
悲しい気持ちになりました。

しかも1枚目、明らかに仲間由紀恵さんっぽくないですか?

明日の稽古もありますので、もう寝ます。

2009/08/07

18日目、台詞を大切にする


蜷川さんは、台詞を大切にする演出家です。

今日の役者へのダメ出しは、
動きに関するものが多数ありました。
それも、「言葉」を際立たせるための
動きの抑制でした。

これぐらい高いレベルの役者になると、
積極的に舞台上を動き回ります。
「さすが」と思わされることが多いのですが、
時として動いている役者が目に付いて
台詞に集中がいかないことがあります。

こういうとき蜷川さんは
「その移動は必要ないだろう」
「立たずに、座ったままでその台詞言って」
と、役者の動きを抑制します。
そうして視点の誘導を今まで何度も行ってきました。

また蜷川さんは、意図的に
「このシーンは言葉でいく」
と言い、極端に動きをカットしていく場合があります。

この「言葉のシーン」が今日稽古した中にもありました。
登場人物が亡くなったことを知らされるシーンです。
この場合、役者に相手との距離を保つことを要求します。
動きを極力少なくし、
聴覚と微細な視力のみに訴えかける演技です。
たしかに、
友人が死んだと聞いて嘆き悲しむ演技を
劇的に表現するよりも、
悲しみを役者が胸の中で握りしめ、耐え、
震えるような声を漏らす方が、
ぐっとリアルに近付きます。

動きを減らし「台詞を大切にする」ことが
蜷川さん演出のポリシーのような気がします。
(もちろん、視覚的に興奮できる場面も多数ありますが)



また、大切にしているポリシーとして思い当たるものが
「反応」です。

「ビリヤードの球が次々とはじかれていくみたいに、
 言葉や事件に反応していって」
と、蜷川さん。
イメージしやすいし、
成功したらとても面白いものになりそうです。
(こういった表現が感動的に上手いのも、蜷川さんの特徴ですね)



ひとつ・・・
もしかしたらわたし、小道具の絵を描くことになるかもしれません!
水野美紀さんの特大肖像画です。
今日のブログを書いている間もそのことが頭から離れなくて、
早く絵を練習したくてウズウズしてます。
見学をしつつ、何かひとつでもあの現場のお役に立てることがあれば
これほど嬉しいことはありません。

17日目、即興




「固有名詞がある役を持ってない人、全員舞台上に上がってきて」

この言葉から始まりました。

「ここで、武装した民衆を出そう」

スタッフさんは急いで剣や銃、布を
どこからともなくかき集め、
役者はどんどん武装していきます。

一通り形ができてきたら、さっそく「やってみる」

こうして、わたしの目の前で
戯曲には書かれていない演出が生まれました。



戯曲の中に、

 詩人がペンを持って書き始めた時、
 わたしたちはもう創造の瞬間を見逃している

といった台詞があります。
ほんとうにそうだと思いました。
稽古場で、毎日あらゆるものが生み出されています。
創造の瞬間を見逃さないようにしないと・・

2009/08/05

16日目、キャラクター


今日の稽古では、
池内博之さんのベリンスキーや
別所哲也さんのツルゲーネフの
キャラクターの確立について、
かなり具体的な細かい指摘がありました。

台詞の間違いを正すためのダメ出しではなく
「あ〜いるいる、こういう人!」
とか
「あ〜、こういった微妙な気まずさってよくあるよね」
とか、どこかで見た・感じたことのある性格や空気感を思い出しながら
稽古を見学していたので、
とても熱中して面白いものでした。


そして蜷川さんは、稽古のお終いに
男性インテリ集団を舞台に大集合させ、
「キャラ付け」について話されました。

・インテリゲンツィア達は全員、基本的に「知的である」

・しかしいろいろな登場人物の中にもそれぞれ個性がある

・その個々のキャラクターを、
 稽古を何度も繰り返すあいだに発見し、深めていく
 キャラが被らないように注意しながら、
 いろいろ怖がらずに挑戦してみること

・具体的に
 台詞の行間を読む(「―――」や「・・・」には性格が出る)
 ゲルツィンの回想録を読んで参考にする
 などの取り組みをするとよい

・キャラクターを出していくことは、
 この劇の説得力を上げることにもつながる
 (ウン、ゲオルクはこんな奴だけど魅力ある人間だから、
  ナタリーが惚れるのも無理ないな、など)


キャラ付けでいろいろ遊べる段階にくると、
役者の楽しみも増すと思います。
9時間の超大作、
観客も役者も没頭して時を楽しむためには
個々のキャラの違いがはっきりしていることが重要です。


蜷川さんは今日たっぷりと丁寧に、このことを話されました。
明日以降の役者の挑戦やいかに・・!!?

2009/08/03

15日目、演出家は演技上手?


あれ・・・あたし、演技上手いんじゃね?

などと思うことがありました。
演出家として作品に当たっている稽古中、
「違う違う、こういう風にやってみて!」と
みんなの前に出てやってみせる時です。

しかし
いざ自分が役者として演劇に関わる時、
自信過剰であった、と
深く絶望するのでした。


この話題が、今日の稽古で出てきました。
わたしはここ数年、この奇妙な現象に悩まされていたので
解決、というか
「よくあることなんだ!」「しかも蜷川さんにも!!」
と、少しスッキリした気持ちです。

私はこんな演劇人生を送って来ました。
劇団200億で演出をやっては
他の劇団の役者をやり、また
演出をやりたくなって、
それが終ったらすぐに役者の話を見つけてくる。
演出と役者の行ったり来たり。
演出をやったあとは無性に演じたくなって、
その後にまた演出に専念したくなる、という
繰り返しです。

演出をしている時って、
自分の演技がなかなかイケてるような気がして
ならないのです。
しかし「役者」をやってもどうも上手くいかない。



「燃え尽き症候群後の感情先走り演技」に陥り
なかなか調子が上がらない、
いわばスランプ突入の俳優に、
蜷川さんがこういったことを話されました。

「演出家は役者に演技の見本をみせる時
 『やってみせる』という構造があるために、
 普段より上手くなる。
 『やってみせる』と恥ずかしさが減るし、
 それによって余裕ができる。
 また、役者にポイントを分かってもらうために
 強調する箇所を大きめにやろうとする。
 実際、僕は俳優から演出家に転身して、
 演技が随分上手くなった。」

行き詰まる役者に
余裕が大切だということを知ってもらう
という意図で、話されました。
しかしわたしにとって
大変衝撃的な話だったのです。
不思議な体験の確証を得た上、
その原因まで知ることが出来たのです。

なるほどなるほど。
演出家の演技の上手さは「やってみせる」という構造からくる
「余裕」なんですね。

まぁしかし、やっぱり演出したあとに
役者をやりたくなるのは
変わらないんでしょうね・・・(笑)

2009/08/02

14日目、演出家ってなんだろう


「あなたは何になりたいの?

 演出家です

 演出家って何するの?

 ・・・・」

ここで、自分を満足させる一言の返答がまだ見つかっておらず、
いつも困るところです。
人によって違うだろうし、
あたしは「作演出」をしたいほうだし・・
などと考えると、より一層わからなくなります。



蜷川さんといえば「演出家」。
では、蜷川さんはどういう役割を担っているのでしょうか?
思いつく限り並べてみようと思います。

・演劇のテーマや中核を掴み、
 関係者でそれを共有できるように説明する
 (今回だとこのような説明→
  哲学や理想を語り合っていた革命家と、
  その私生活(恋愛)への取り組みのギャップが面白い。
  また、時代は違っても、人間の本質的な
  恋愛や友情は変わらない。)

・団体の方向性を決める
 (簡単にいうとストレートプレイかそうでないか、など)
・理念を伝え、エネルギーを充満させる

・本番までの進め方を決める
 スケジュールは演出部と話し合って、かな?
・稽古で指揮を執る(実権は半分演出補にある)
 どのシーンをやる、とか
 休憩のタイミング
・稽古場を和ませる
・引き締める

・「蜷川幸雄演出」という名のもと、
 次々と人を集める
・役者、スタッフ、制作を繋げる

・舞台セットや衣装、振付け、
 音楽担当など各部門の人に
 自分のイメージを伝え、
 本番までの間、相談しながら決定していく
・演出を考える
 (主に台本のト書きの文章を
  現実の舞台上の動きにしていく作業)

・役者の演技教育
・役者にダメ出しやアドバイスをする
 (演技向上の手助け
  理想の演技に近づける
  癖を注意する)
・役者から動きや演技を発掘する

・客観的に見る「目」になる
・素直な感想を言う
 良いと言う、ダメと言う
 →どっちにしろ関係者が
  現在の自分達の立ち位置を知る、という点で
  安心することが出来る
 (自分達が今いったい何をやっているのか?
  何がもたらされているのか?などを
  見失うこと程
  不安なことは無い)

・役者やスタッフの稽古場姿勢を教育
 (役者であったら
  「ダメ出しはちゃんと台本に書き込んで、
   必死になって直せ」など)
・演劇史を語る、教える(講義)

・その演劇の責任者になる


並べてみて思ったのですが、
ここから見える「演出家」は
ものすごく立派ですね・・・


演劇スタイルは違えど
演出家たる者、
上記の箇条書きを全て担うべきだと思いました。
特に人付き合いの面です。
どこまでスタッフに美術を託すかなどは、
各演出家によってかなり違うところなので。



最後に。
戯曲を読む点で、私が反省すべきことがあります。
自身の体験や思想にむりやりねじ込んで考える傾向があります。

人による演出の違いは
「戯曲に歩み寄る」
「戯曲を引き寄せる」
の(割合の)違いだと思います。

私の考える演出家の
演出上の個性というものは・・・



私は戯曲を引き寄せてばかりいたので
作家に嫌われるタイプですね。
そんなことしてたらいつか天罰が下ります。
「100%引き寄せる」はありえない手段ですね。


2009/08/01

13日目、稽古場全体


翻訳の広田さんは毎日稽古場に訪れ、
皆の引っ張りだこです。
今流行り(?)のドラマトゥルクって、
こういう仕事なのかなあ、と思います。
広田さんは翻訳のために膨大な資料を読まれただろうし、
時代背景や人物像を一番理解しているであろう方です。
広田さんの隣には必ずと言っていい程
質問をする役者さん、または演出家がいます。

一方で、
ケータリングのお菓子を補充したりお茶を出したりする
若い人もいます。
おそらく事務的な作業をしつつ
稽古場をよりよい空間にしようと働いているのでしょう。

また、子役の少年たちの世話をする方もいます。

「演劇関係者」と言ってもいろいろな仕事があるなあ
と、つくづく思います。

稽古場は人間の集まる場所です。
人と人がせめぎ合い、
意見や作業を積み重ねて1つのモノを作っていきます。
そして蜷川さんを筆頭に、かなり高い完成度を目指して・・・。



2009/07/31

12日目、「見せる」と「見る」


ついに2冊目、
第2部「難波」に突入しました。
なので今日は役者メンバーがガラリと変わり、
私にとっては新鮮でした。

読み合わせ–立ち稽古
の順番で、第1場から第3場までいきました。
これからしばらくは、3シーンずつ進めていく演出計画だそうです。

1場の立ちに入った辺りで
蜷川さんの予言がありました。
「ものすごい速さでいっちゃいそうだね。楽勝だ」
その言葉通り、今日はなんと3時間少々で稽古が終わりました!
昨日は6時間弱あったので、その違いに皆驚きです。
目標を定め、進みがいい時は早く終わるその潔さが、
稽古場を緩ませないコツなのかもしれません。


1部1幕の1場は、読みだけで約25分もある、長めのシーンです。
しかし今日、1場に対してほとんどダメ出しはありませんでした。
水野美紀さん(本日、初始動!)や阿部寛さんをはじめ、
役者さんになんら問題がない、といった感じでした。
蜷川さんの口から「安心」という言葉を今日、何度か聞きました。

初始動、と先程書きましたが、
第2部で初めて、水野さん演じるナタリー・ゲルツェンが登場するのです。
今までの沈黙の期間が長かっただけに、
水野さんはどんな演技をするのだろう?
どういうナタリーを演じるのだろう?
と、私はかなりどきどきして稽古場にいきました。

今日終ってみて、こう感じました。
水野さんと阿部さんは、
「観客を引き付ける」演技をする。
細かくいうと・・聞き耳を立てる、目を凝らして見る・・
こういったことを観客にさせるのが、この2人の演技です。
以前から
阿部さんが演技を始めるとなぜか稽古場がシーンとして、
みんなが見守るように阿部さんを見つめるなぁと思っていました。
(わたしもその見つめてる中の一人です)

この現象は、池内さん1発目(稽古4日目)の
素晴らしい長台詞中にも起こったことです。
あれは・・・舞台から広がる緊張感。
絶対に観客を黙らせる圧倒的な演技。

しかし、水野さん阿部さんの作り出す緊張感は、
池内さんとはまた違う緊張感のような気がします。
より繊細、といいますか。

阿部さんは独特な台詞の「間」で、
観客の心をつかみます。
安定した演技の中に
観る者をハッとさせる切り替えがちりばめられています。
また、どたばたはしませんが、
時折動きが大胆になるので
これまた観客は意表を突かれるのです。
あくまで「安定した演技」が土台にあるように思えます。
どっしりとした重量感・・いえいえ、
「重量感」で片付けてしまってはいけませんね。
今後阿部さんの演技についていい説明が出来るよう、
もう少し研究が必要ですね・・。

さて、水野さん。
ナタリーを落ち着いた、おとなしい女性として演じていました。
少し触ったら崩れてしまいそうな女の心、
透明度の高い清らかさ。
(おそらく、水野さんのイメージを引きずってます、すみません)
全体的にあまり動きはありませんが、
安心して観れる、つまり安定しています。
確実に言葉が届いて来ます。
少し物足りなさはあるかもしれませんが、
かえってハンカチをさっと振っただけでドキっとするので有効だと思います。


2人の大きな共通点は、
「声を必要以上に張り上げない」
というところです。
(もちろん感情的になる時には大きな声になりますが。)
極端に声を落としても、問題ありません。
観客が物音ひとつ立てずに聞いているので必ず聞こえてくるのです。
むしろリアリティーが出て、
思わず役者の内面に引き込まれます。
聞こう、見ようとする観客の心をみごとにかき立てます。

観客側からして、「見たくなる演技」と「見せてもらえる演技」
(あれ?赤鬼の
 「したい女」と「してやらなくちゃならない女」・・?
 いえいえ、似てるけど違います。笑)

どちらも魅力的ですが、ひと味違った感覚です。


2009/07/30

11日目、2幕




役者の動きは、普段、その役者本人に託されます。

稽古前もしくは稽古中に、独自の動きをあみだします。
特にすごいなあ、と思う3人は
勝村さんと池内さん、あと阿部さんです。
動きに無理がなく、何度繰り返しても不自然な反復にはなりません。
華麗なほどの身軽い動きをする時もあります。
なぜそのように出来るのかというと
・無駄な緊張をせず、演技に余裕があること
・もともと身体の使い方が器用なこと
・サービス精神が旺盛なこと
が理由にあげられると思います。


この3人に限らず、皆さん当たり前のように舞台を自由に動き回ります。
思えば見学を始めて
最初の立ち稽古を観たとき・・
かなり完成度が高くて「この時点でもうお客さん呼べるよ!!」
と、興奮したのを覚えています。
私が今まで自身の劇団でやってきたレベルで言うと、
「まずは台詞を理解しよう」
から始まり、
ここは大事だからと、たっぷり時間をかけて
「相手役の台詞を聞こう」
「台詞で会話をしよう」
を皆でクリアしていって、
最終的には(お客さんの視線も考えながら)
「舞台上で感情・台詞に合った動きをしよう」
という段階に登りつめるのです。
ここまでくればたいがい、役者の身体は
観客に見せられるものになっています。

いえ・・素人と比べるのも失礼なことかもしれませんが、
上記のことをかなり高いレベルで、
しかも最初の立ち稽古で成し遂げるのですから。
「いや〜さすがプロだ!」
の一言です。

しかしこんなにすごい役者揃いの稽古場であっても、
動きが不自然で、なかなか心と動作が結びついていないな、という時があります。
そんな時、蜷川さんは演出を切り替え
まるでダンスの振付けのように細かく動作をつけていきます。
俳優にとってこれは演出家に諦められたということであり、辛いことです。
しかも指定された動きを守ろうとすると、
どうしてもわざとらしさが拭えません。

蜷川さんはやはり、役者それぞれの
自然な行動が生まれることを
待っていたいはずです。

最近演出家による動きの指定が増えてきたので、
このようなことを書きました。

2009/07/29

10日目、1幕

2日空けての稽古場です。
1部の1幕をやりました。
途中芝居を止めて役者にダメ出しする頻度が
かなり減りました。
(それでも稽古開始1時間、
 「今まで注意したことが直ってない!
  もっと必死になれ!休憩だ!」
 と中断したことはありましたが。)
そろそろ転換の流れがズムーズかとか、
作品の全体像を観ていく段階なのでしょうか?



台詞を「自分の言葉にする」ことに奮闘している役者さんがいます。
既にある言葉を、実感を持ってしゃべること・・・
とても難しいことだと思います。
蜷川さんも
そういう役者さんに実感を持たせるため、奮闘中です。
役名を役者本人の名前に変えて読ませるなどなど。
でもこれは、役者さんに是非乗り越えて欲しい点で、
蜷川さんも繰り返し注意します。



「ロシアの知的階級の風格を出せ!」
というダメ出しを受ける男優もいます。
思想のことになるとまるでスピーチのように語り、
日常の会話でさえ難しい言い回しを使用する。
そういった、知的な頭の良さが
にじみ出るような演技を、求められています。

・・知的な人の話し方って?
ダメ出しを聞いて私が理解するには、
「難しい単語が多用された文章であっても、
 対話の相手(または観客)に分かりやすく伝えられる」
ということだと思います。
知的な人は、自分の思想についても上手く説明できる。
たとえ感情が高ぶっていても、相手に分かるように順序立てて話ができます。
これもまた、難しいけれど劇に深みと説得力を持たせるには
欠かせないことです。


2009/07/26

9日目、1冊終わりました


演出補の方に連れられ、
『NINAGAWA 千の目 第19回』
を見せていただきました。
隔月『埼玉アーツシアター』という読み物が
テイクフリーで劇場に置かれるのですが、
そこに載る蜷川さん×演劇人の公開対談。
今日は勝村政信さんでした。

「今回、どのようにして役を作っている?」
という蜷川さんの問いに勝村さんは、
「自分をノイズだと思ってやっている」と返答しました。
勝村さん演じるミハイル・バクーニンという役は、
声を大にしているだけで大した思想もないが、かなりの行動屋。
そんな憎まれ役が、「如何に愛されるか」に挑戦したいらしい。
また、翻訳劇というと役者は身構えてしまう。
「そんなお固い演技は嫌いで、その中でも自分は血の通った演技をしたい。
昔の貴族だって笑う時もあれば泣く時もある、
今と変わらない人間像を描きたい」

さすが勝村さん、だと思いました。
役をまっとうするだけではないのです。
俳優としても役としても「ノイズになりたい」という
独自の使命を背負っているところから、
舞台への真剣さ(と、ある意味の余裕)がうかがえます。


稽古を観ていたらすぐ分かることですが、
蜷川さんはあまり役者に動きの指示をしたくない演出家です。
役者が上手く立ち回れないときに限って
「◯◯してみるとか、◯◯するとかあるだろ!」
と、動きを細かく指示します。
蜷川さん曰く
「役者を道具として扱いたくない」
とのことです。
いままでさんざん役者を道具として扱ってきた私にとって、
これを言われると耳が痛い。

私はおそらく、役者を物として扱っています。
それは単に動きを指定するということではなく、
根本的に役者が自分の想い描く舞台を実現してくれている、
とでも思っているのです。
私は200億で3公演とも演出をしました。
稽古は演技力を基本的な水準に上げることと、
役者を自分の理想に近づけていくことに、時間を費やします。
事後反省ですが、私は役者の喜びを奪っていたのではないか?と。
自由に動ける、何でもできる、
戯曲を守ってさえいれば。
蜷川さんの現場を見ていると、
高度な役者は稽古場を「意思表示の場」としているように思えます。
「ぼくはこんな風に解釈した」という自分なりの戯曲への返答を
身を以て皆に提示する。
意見を言うことは怖いことだし戯曲を読み込む努力が必要だから、
レベルの高いことだとは思います。
でも、すごく楽しくてやりがいがあるにちがいありません!

蜷川さんの稽古を観ていると、どんどん自分に自信がなくなってきます。

ああ、私は何も分からずになんてことをしてたんだ!
みんなの楽しみを奪って、自分だけ満たされようとして!!!

しかしいまのところ、まだまだ同じことを繰り返しそうですね。
反省しているようで懲りていません。
「恐ろしく傲慢な演出家。
 でもいいものできるんならそれでもいいじゃないか!」
という思いに、作品つくり始めたら瞬時に戻りそうです。
最終的にそれぞれの手法だし
目指すものの違い・何を大切にしたいかの違いだから!
と、開き直り・・。

う〜んでもでも、
やっぱ役者の楽しみ奪っちゃだめ。




今日で、ついに第1部を全てやり終えました。
明日と明後日は稽古始まって以来初めてのお休みです。
とは言っても、スタッフさんは休まずに働くのではないかと思うのですが・・・
役者は各人台詞を覚え、リフレッシュしてくることでしょう。
また、29日が楽しみです。


2009/07/25

8日目、速い


研究室の合宿とはいえ2日間もお休みしたので、
1階へ行って場所取りする気がひけました。気弱な豊永です。

2日空けて変わったこと。
・観音開きの大きな扉のサイズが、2倍になっていました
 (以前蜷川さんがスタッフさんにさらっと要求したことです。)
・舞台の上段が自由にスライドするようになっている
 (もしかしたら以前からかもしれませんが、
  今日動いているのを見てかなり驚きました。
  ただ、昨日シルク・ドゥ・ソレイユ シアターを
  観てしまっていたんですよね・・)
・役者、スタッフの絆が深まった?
 (いつも役者側の席に座らせていただいてます。
  この前より緊張がとけているような気がしました。
  稽古中のオーディエンスの反応も、前よりくだけていると思いました。
  おそらく今まで出ずっぱりだった4人姉妹の出番が止んだからじゃないでしょうか?)


今日は驚異的な速さで進みました。
戯曲でいうと約45ページ、シーンとしては8つ。
明日で第1部を全て終わらせようという計画なので、
舞台の転換を主に、作られていきました。
それでも役者の演技をなおざりにすることはありません。
長谷川さんや池内さんへの動き・台詞強弱などの注意が続きました。


面白くて稽古場が沸いたのは、
長谷川さんと紺野さんの愛のドギマギのシーンでした。
おそらく今日初めてやったシーンだったのですが、
かなり動きを準備していたのではないでしょうか。
サーカスの道化のシーンみたいな面白さがありました。
短いつなぎのシーンですが、
成功したら、そうとう楽しいシーンだと思います。


戯曲の中に
「カオス、過剰、そして、無慈悲」
という熱烈な台詞があります。
池内さん演じるベリンスキーが
声を荒立てて罵倒するシーンです。
蜷川さんはこの役のこの台詞に、自分を重ねているようです。
「きっと闘争心で目がギラギラしているんだ」というアドバイスからは、
蜷川さんの普段の眼差しがうかがえました。
この役に自分自身の人生を見ているのではないでしょうか?

稽古の後半、役者の演技がまだまだだ!と
悔しがっている蜷川さんがいました。
(あるレベルを超えてからの話ですが)

「あ〜悔しい!」
「おれの野心!!」

本当に演技の上手い役者によって、
今の世にあるスター制度をぶちこわす、
というのが蜷川さんの野心だそうです。
本物を観せよう、本当の舞台を作ろう、という固い意志です。
その為には今の演技レベルではダメなのだ、と。

この戯曲でもそうですが、
野心ある者が既存の制度を変えていきます。
これは時代もお国も関係なく言えることです。
「ギラギラした闘争の目」を持った人間が
勇気をふりしぼって挑む姿は、今も昔も変わらないことなのだと思います。



あ〜、あたしも革命家になりたいっ!!!



2009/07/24

合宿です

今日は稽古場の見学をおやすみして、
長谷部研究室の合宿です。
新浦安のうら・らめ〜るというところに来てます。


明日シルクドゥソレイユを観に行くので、
サーカスについて各自発表したり、
先輩にレクチャーをしていただいたりしました。
・・・あたし、サーカスのをかなり誤解してたような・・。


人と人が集まる場は、とっても楽しいです!
ゼミも稽古場も。


いろんな人と、たくさんおしゃべりしたいです!!

2009/07/22

7日目、集中力



プロの稽古場は、集中力が違います。

昨日、1部の1幕目が終わり
今日はそれのおさらいとして
オープニングから1幕目の最後までやりました。

途中止めながらではありましたが、
1幕を全部やるということで
4人姉妹役の女優さん方は、
かなり気合いが入っていたようでした。

動きも感情も大きくなっていて、
見ごたえのある演技が多くなりました。
4人で競うように上達していました。
すごいなあと思うのは、集中力です。
普通、通しの稽古は緊張するし漠然と続くので
演技が荒くなると思うのですが、
その逆でした。
新たな動きが役者から提示されたり、
むしろグレードアップしていました。
恐るべし、気合いです。


蜷川さんは、いつも通り役者の演技を細かくチェックすると共に、
1歩ひいて転換の演出についてのアイデアも出しておられました。
2幕へそのまま進めるよりも、今日1幕を全部やったことで
役者も演出家も全体が見えやすくなったのではないでしょうか。



今日、大きく時間を取ったのが、
先日見事な長台詞を披露した男優へのダメ出しです。
今までほとんど注意されていなかったのですが、
ここで急変。
台詞のイントネーションや動きに対する、
細かい注意。

「初めやったときは良かった。
 でも、もっと良くなるためには1度出来たものを解体して
 また組み立てる作業が必要。
 淡い絵にタッチを入れる。
 より確信をもって台詞を言えるように。」

「蜷川に負けるな!」

根気よく何度もダメ出しする蜷川さんと、
繰り返し立ち向かう男優さん。
そこには確実にステップアップが見えました。
レベルがひとつ上がったのです。
より高度に、より繊細に、それでいて激しく・・・



稽古の最後に、明日から2幕ということで
蜷川さんが「体で戯曲を読む」ということについて
皆に話しました。
男は、「戯曲を女だと思って犯してく」。
かなり暴力的な表現ですが
それぐらいの心持ちでやれ、ということでしょうか。
蜷川さんならではの言葉です。


「俳優は、戯曲と結婚した。」


2009/07/21

6日目、マルチビタミン飲んでGO



情報を伝える。
これは、台詞の役割のひとつです。

蜷川さんは1日に何度か
「その情報は必要だから強調して」
というアドバイスをします。
ロシアの暦が12日遅れているのは大事な情報だから、
観客に聞かせないといけないのです。

「情報には階級がある」
という蜷川さんの言葉に、なるほどな、と思いました。
(経験上)役者は、台詞を
役の感情を表すためのものだと捉えがちです。
しかしそれは観客の貴重な情報源でもあるのです。
その情報に優劣をつけるのは役者の仕事で、
演じる人の解釈によって変わってくるものだと思います。
「情報には階級がある」
ということを肝に銘じて戯曲を読むと、
同時に自分の考えもはっきりしてくる気がします。
役の感情理解に没入してしまうと見逃しがちなことですが、
劇をまとまった作品にするためには重要です。


今日は女優さんの演技に感動しました。

ひとつは、
京野ことみさんが「ほっとして笑いながら踊り出す」シーン。
楽しげな音楽にのせて、木々の間を軽快に踊ります。
感情を増幅させることに長けているのだと思います。
観ているほうも思わず楽しい気分になります。
しかしそれだけではありませんでした。
蜷川さんが「試しに音楽をとっちゃおうか」。
わたしは「音楽がなかったら京野さんもノリにくくなるし、
楽しさを表現しにくいのでは?」と思ったのですが、
それはそれは、さすが京野さんです。
動きと笑い声を大きくして、
むしろ音楽アリの時よりも楽しさを表現してみせたのです。
もう、さすがです。
しかも音楽がなくなった分、京野さんの演技に集中できます。
「安堵感」や「怖い程の喜び」も読み取ることができました。
蜷川さんは役者を信じているから
助けとなる音楽をとる、という発想になるのですね。

もうひとつ、
美波さんの「死んだ姉を回想する」シーンです。
全く演技には見えない、素晴らしいものでした。
あの声の震えや動きの変容は、演技の技術ではなく
心から人の死を悲しんでいるようにしか見えませんでした。
女優の力を目撃しました。
さすがにこの演技には、涙を堪えることは出来ませんでした。

なぜこういった「心から」の演技ができるのでしょうか?

理由のひとつに経験があると思いますが・・。
特に「死」に対する深い悲しみや「生」の喜びは、
経験しないと分からないことのように思えます。

蜷川さんは
「普段から人生を分析しろ」
と言います。
何か心を揺るがす出来事があったとき、
自分はいったいどういった反応をとるのか。
役者は、お葬式でも自分を観察しなければならないのでしょうか?
つくづく怖い職業です。





2009/07/20

稽古5日目、演出



本日のブログは、稽古場で出た
具体的な演出法をまとめようと思います。


・動きは自分で思っているより大きく

 これは特に今回の場合かもしれませんが、
 映像出身や小劇場慣れした俳優はどうにも動きが小さくなりがちです。
 背筋を張り、「目」の演技になった時に、蜷川さんは注意します。
 「体全体で演技をする」ことが必要です。
 これは私の予想なのですが、
 蜷川さんはこの作品の長さも考慮にいれているのではないでしょうか・・?
 確かに目を凝らし続けて9時間はもちません。


・登場人物の関係・構造を、視覚的に観客に見せる

 例えばAとBがCの話題をしているとしたら、
 AとBを舞台の両端に置いて、Cをそのまん中にもってきます。
 ただでさえ入り組んだ人間関係なので、時には分かりやすく
 関係図のように舞台上に登場人物を配置すると観客は助かります。


・役者への状況説明を大切にする

 「当時のこの国では会話にジョークを織りまぜることが
  知的さを示すことになる」
 と、役者に説明。


・ダメ出し、理由、(目的)、方法。それでもだめだったら対策

 若い女優の語尾の問題を取り上げると、
 ダメ出し→「〜でぇ、」って言わない
 理由→それは同世代の人間にしか通用しない言葉だから
 目的→普遍的な舞台をつくりたい
 方法→語尾ではなく強調すべき単語を強調しろ
 
 それでも直らなかった場合、
 対策→自分の意志を伝えようとすればいい

 こうやって、究極のアドバイスに到達する蜷川さん。
 (しかもだいたい同じところにたどり着きます。
  筋が通っているから、すべてのダメ出しにブレがないのだと思います。)



今日のところはここら辺で・・・
明日はもっとちゃんとした文章書きます!!


2009/07/19

稽古4日目、揺さぶられる




オープニングから順に、
役者の動きや舞台美術を決めながら
若い俳優の演技を中心に改善しつつ、進めています。
かなり手際良く進行するので、
早くもⅠ部の第1幕は終わりに近付いています。

この完璧な稽古を支えているのは、
優秀なスタッフの努力です。
毎晩10時まで劇場に残り
「蜷川さんはこんな風に稽古を進めるだろう」と、
スタッフであれこれ翌日のシミュレーションをしているそうです。

美術スタッフは、蜷川さんのつぶやきをも逃しません。
昨日「カーテンの「シャーッ」って音がうるさいね」と
ひとこと言っただけで、もう次の日には音の少ないものに変わっています。
「ハンモックを置くため舞台の幅を広げて欲しい」と蜷川さん。
その場で美術スタッフは「その時だけ台を追加してはどうか」という意見でした。
しかし、次の日には舞台が広がっているのです!
少しの妥協も許さない、素晴らしいスタッフワークです。

「10分休憩」「今日はここで終わり」という声が、
美術スタッフの「よーいスタート」にあたります。

次のシーンの用意や役者の衣装替え、
本日の問題点の改善へと
一斉に動き出します。


演出部スタッフは役者とも深く関わります。
若い役者の自主練には必ず付き添い、
蜷川さんの意図を理解した上で
アドバイスとエールを送ります。

役者さんにとって、かなり心の支えになっているのではないでしょうか。


といっても、元から器量のよい人間だけが
集まったわけではないと思うのです。
これは蜷川さんの「教育」の賜物でもあると思います。

スタッフの一人が腰を曲げて舞台模型を眺めているところ、
蜷川さんが後ろを通り過ぎざまにポン、っと腰を押しました。
そんなさりげない姿勢ですら観察しているのですから、
スタッフになって始めの方は、徹底的に教育されているのだろうなあと思います。

また、絶対的な信頼関係。
スタッフは言うまでもなく演出家を尊敬し信頼しています。
そして演出家はスタッフの働きっぷりをよく褒めるし、
敬って差し入れもします。
強い絆です。
皆が関わっていることに誇りを持てる現場です。


4日間絶える事のなかった、
若い女優への「語尾」「強調」の注意について、
今日新たに明らかになった事があります。
何度も口をすっぱくして繰り返していたのにはわけがあります。

若者がよくやる
「・・・で、」「・・・は、」といった
接続部分を無意味にのばしたり強調させたりする話し方は、
「今の若者」特有の口調であって、
「普遍的」なものではない。
蜷川さんは「普遍的」な舞台を目指しています。
だからそういった、世代を限定するような流行りものの言葉を
舞台に持ち込まないでほしい、ということでした。

この説明を聞いて、役者はかなり焦ったのではないでしょうか。
単に若者口調を嫌ってダメ出しをしているわけではなかったのです。
自分達にとって悪気のない口調の癖が、
蜷川さんの表現の信念を汚していることになっていたのですから・・。



池内博之さん。
彼の長台詞に、稽古場の皆が硬直しました。
すご過ぎてです!
私は涙を流し拍手をする寸前でした。
初めての立ち稽古であのクオリティー、
あの読解力、あの表現力、あの。。
すでに戯曲の台詞は、池内さんの体内を何周もしています。
もうすっかり、池内さんの言葉です。

蜷川さんもついつい何度も褒めます。
「池内、いいかんじだよ」
「よく勉強したな。もっと高度なところにいくけどな」

池内さんの迫真の演技により、
稽古場が引き締まったのを感じました。
どこまでも高い目標を追っていく意志が
全体に広がった、といいますか。

ああ・・演技ってあんなに素晴らしいものなのですね!
わたしはもう、思い出しただけでグッときます。
今回の稽古を見学させて頂くことは、
なんども言うようですがとても贅沢なことです。
舞台ってやっぱ素敵です。
演劇って心を揺さぶるパワーを持っています。



演出家、本日の名言。

『何かモノを考えるとき、僕はミニチュアに物事を考える』

→哲学者の役の演技指導の時に出たことば。
 俳優が今ある自分を信じ過ぎて、伸びやかに台詞を喋っていました。
 それに対して、「何かを作る者」「生み出す者」の視点は
 そんなにのびのびしていない、と。

なかなか一般の人の口から出てくる言葉ではないと思います。
蜷川さんは改めて怖い(凄い)お人だな、と思いました。


2009/07/18

稽古3日目、母が来る




今日は、蜷川さんの演出術を
たくさん聞けた一日でした。
役者の立ち位置のことや、
ちょっとした演技の工夫、
深みの出し方、
感情を観客に伝えるポイントなど、
かなり具体的にためになりました。
指示する前にその理由を述べ、
役者を納得させるところがすごいなあと思います。
「なぜこうしなきゃいけないの?」と思わせないところが
お互いの関係をよりよく保ち、「信頼」しあう秘訣なのだと思います。


それにしても、若い女優陣は
語尾の難しさに苦戦中です。

(これを言われるととても悔しい気持ちになりますが)
若者は私生活であまり主張をしなくなった故に、
言葉からも主張が消えたそうです。
こんなとき蜷川さんは、頻繁に
「強調しなさい」というアドバイスを送ります。
語尾が無意味に伸びてしまうのを防ぐためには、
強調すべき語をきっちりと意識すれば解消される、と。
つまりは、台詞に込められている意志を明確にして
伝えたい気持ちを第1に表現することに意識を配れ、ということです。

確かに、蜷川さんによって改善されたあとは、
言葉がとても伝わりやすくなります。

しかし日常の癖はなかなか直せません。
蜷川さんは何度も根気よく注意します。




私を元気付けに、
母がはるばる神戸からやって来ました。

劇場からの家路、
お祭りで通りがにぎわっていたので
晩ご飯を買うべく、人ごみに入っていきました。

ここはやたらと若い人が多く、
お神輿を担ぎわっせわっせと大騒ぎ。
(ヤンキーみたいな人が大量にいて、
盛り上げていました。)

コースト・オブ・ユートピアを読み、
180年前ロシアの
若い人の力強さには驚きました。
そういう活発な世代によって、さまざまな革命がありました。

わたしは芸術で人の心や人生を変えたいと思っていますが、
「革命家」になる勇気は(今のところ)ありません。
このふんぎりの悪さでは、
結局のところ何者にもなれずに
一生がおわってしまいそうです。

コースト・オブ・ユートピアの登場人物は
それぞれの思想や信念を持っています。
気持ちは移ろいやすくても、
その時その時で信じるものがあり、それが強さにつながります。

・・・しかし恋愛になったら急に頼りなくなったり・・
純情すぎて、笑ってしまうようなところもあります。

蜷川さんも
そういった、多様な面を持つ人間を
生き生きと描こうとしているのではないでしょうか。




2009/07/17

稽古2日目、少し状況に慣れる



2日目になりました。
稽古の1時間前に行くと、もう既に役者さんがちらほら。
蜷川さんもいらっしゃいました。
劇場の前で元気よくサッカーをしていたのは、勝村政信さんでした。

明日はもっと早く稽古場に入らなくては!


今日は冒頭のシーンから
細かく立ち位置まで決めていきました。
2日目にして立ち稽古に入るのは、
尋常じゃない早さです。鮮やかです。

蜷川さんは何でも「やって」みます。

冒頭についても、
はじめ蜷川さんが演出プランを発表した時は
あまりにも出来そうに思えなかったのか、
役者さんもスタッフも少々困惑気味でした。

しかし「やって」みると・・・
少しくらい無理してでも、ぜひ実現させたい演出内容でした。
観ている側は、いっぺんに納得したのではないでしょうか?

(どんな演出かは明らかにできませんが、)
冒頭のシーンは
『2009年 日本→1833年 ロシア』
の違和感をなるべく減らすという意図で発案されました。
「今から翻訳劇を日本人がやりますよ」という
ベル(合図)のような役割をしていると思います。
お見事です。

こういうところが、演出家として学ぶべき点だと思います。

本当に、蜷川さんは冒頭のマジックで
観客を舞台のとりこにしてしまうのですね。




今日、蜷川さんが稽古中にこんなことをおっしゃられました。

「いい芝居なら、なにやってもいい」

いい芝居にするためには手段を選ばないという意味です。
この時は役者の立ち位置や動きを作る際の言葉なのですが、
この信念は、蜷川さんの演出現場でおおいに活躍しています。

今日の稽古前、
チェーホフの『三人姉妹』のビデオを皆で観ました。
「4人姉妹にはこんな風にやってほしい」と、蜷川さん。
動作の指示も、実際に舞台に入ってやっちゃいます。


ここだけの話ですが・・
休憩中ある役者さんたちが、
「蜷川さんってとても優しい人だね」
「ダメ出ししてもその後ちゃんとフォローするしね」
「あんないい人他にいないよ!」
と、蜷川さんを褒めちぎっていました。

もうすっかり役者さんの心も掴んでいるのですね!
演劇で一番大切な「信頼関係」が
2日目にして出来上がっていました。





写真は戯曲に頻繁に出てくる「あずまや」

これは日本のあずまやだと思いますが。
皆さん、日常的に良く使う言葉なのでしょうか?
私ははじめ、何の事を言っているのかわかりませんでした。
何となく「あばらや」を思い浮かべていたのですが、
そんなにずれてはいなかったようです。(?)

1830年、40年代のロシアのお話なので、
こういう、想像が及ばないことがよくあります。

蜷川さんは
時代や歴史に足を捕らわれすぎないで
役の心情を第一に戯曲を理解していくように、と
初日におっしゃられました。

しかし私はロシアのことも、その時代のことも、
知らなさすぎるようです。




2009/07/16

稽古初日、顔合わせ




顔合わせは10:30からなので、
9:30に彩の国さいたま芸術劇場(以下、さいげき)で待ち合わせ、
藤Tさんに連れられ蜷川さんにごあいさつしました。
その時の蜷川さんの

「居場所を見つけるのもセンスだよ」

という一言が、印象的です。

今回共に見学をするつくDさんと
2階の荷物置き場に上がり、
1階の稽古場を見ました。

稽古場にはもうすでに立派な舞台セットが組まれており、
「うわさ通りだ!」

またそこで、
「私は蜷川さんの稽古を見学させてもらうんだなあ」
と実感したりしました。



1日中、2階の暗がりから
蜷川さんをじーーーっと凝視していたので、
私はまるでストーカーです。
稽古が始まる前は、スタッフの方々と挨拶されていました。
お昼の20分休憩では、案外誰も蜷川さんに近付かないんですね。
役者さんはほとんど稽古場からいなくなり、
スタッフの方も、忙しそうに動き回っていました。
休憩が終わる少し前、ひとり蜷川さんが
稽古場を見渡せる場所に立ち、
ポケットに手を入れて全体を眺めていました。
「さあ、いよいよ始まるぞ」
と、心の中の声が聞こえた気がしました。

稽古場はやはり、蜷川さんを中心に回っています。

稽古始めの蜷川さんの言葉の間、
役者陣はぴったり動きを止めて聞き入っていました。
(本当に、静止画のようでした!)
そこから役者さんの気合いとやる気がよく見えました。


今日の読み合わせは第一部のみで終わりましたが
私は緊張と集中で、へとへとです。
明日から1階で見学ができるかも・・。
栄養ドリンクでも飲んで、シャンとして、
日々の稽古場の動向を見逃さないようにしていきたいです。



2009/07/15

いよいよのほんまち





今日、古美術研究旅行の提出課題を終わらせたあと、

急いで新宿に行き、契約をして、

さいたま与野本町の新居にはいりました。

もうすぐ21歳、2009年は埼玉の夏!



9月に渋谷のコクーンで上演される
蜷川さん演出、

『コースト・オブ・ユートピア』

の稽古を、まるまる2ヶ月
見学させていただくことになりました。
(先生ありがとうございます、
 藤Tさんありがとうございます、
 そして蜷川さんよろしくお願いします。)



いよいよ明日からということで、
この稽古見学の意味をここに書きます。(稽古が始まると、また増えるかもです)

超一流のメンバーによる舞台が出来上がっていく様子を、
目をギラギラさせて、
しっかりと見てきます。

自分の作り方とはどう違うのか?
演出家とスタッフとのやり取りは?
蜷川さんの稽古の進め方は?役者との関係は?
演出家がどんな言葉を掛けた時に、
心動かされる演技がうまれるのか?

見て、比べて、分析して、発見したいです。
そして、
今までのようにがむしゃらに突っ走るだけの豊永純子を
卒業したいと思います。


「見学」という勉強の立場なのですが、
観客のようなワクワクがあります。
蜷川さんがあの超大作にどんな魔法を使って
舞台を作り上げていくのか。
間近で見学できるなんて、贅沢!
蜷川さんはいま、明日の稽古初日に向けて
何を考えていらっしゃるのでしょうか・・?

そんな事を想いながら、どきどきして眠れません。
まるで遠足前夜の小学生です。







頑張ります!





2009/06/09

出産




子供を産みたいと思った。たくさん。

今日、大学の生物学の授業で、DNAについて学んだ。
DNA、またの名をデオキシリボ核酸。
ミクロの世界の遺伝子地図によって、
私たちの体が形作られている。

感動して泣きそうだった。
高校の生物の時間に習った事のおさらいだったけれど、
思い出す度にわくわくする分野だなぁ。

生命が、次の生命を生み出す・・
いくら生物学的に解明されても、神秘を感じて心ときめいてしまう。
それに対して、芸術家が作品を作るって、いったいなんなのだろうか。(ついつい・・)

古来からオスは、可哀相なことに、
出産を実感できない。
産みの苦しみとは良く言いうけれど、
お腹が膨らんで、中で子供が動いて、激しい痛みと共に出産する。
メスは嫌というほど生命の誕生を体感する。
これは私の予想だけど
出産を経験した女の人は、
その時点で生命に失望するのではないだろうか?
だって、考えてみても、自分のような何でも無い人間が、
世の中で一番重いとされる「命」を作ってしまうのだから。
恐ろしいことだ。
人間の発生も、生命の進化も、神様の仕業にしておきたい。
「神秘」と呼んで、運命とかたましいを信じたい。


「ロマン」は出産を体験できない男にこそあるものだ
と、考えたことがある。

だから、「男のロマン」はあっても、
「女のロマン」はない。
女は初経が来ると、
自分が子供を産める身体だということを自覚する。
それはそれは、男の射精とは比べ物にならないくらい、
ドロドロした赤い血液。
しかも、その血は毎月定期的にやってくる。

女が安定や家庭を望むのも、
将来自分の赤ちゃんの家となる子宮を持っている実感が
関係しているんじゃないだろうか。
命は作り出せるモノで、キラキラした光ではなくて、
それを守っていくのは自分たちである、と。

だから、女は早い段階でロマンを口にしなくなる。
一方男は歳をとっても「これは男のロマンだ!」と夢を見続ける。


↑これ、全くの私の持論だけれど・・・いかがだろうか?

注)
男のロマンを否定しているわけではありません。
でも征服者や社長に男性が多いのも
夢を掴み取るまで追い続けるという点で、
「男のロマン」が少なからず関係しているのではないかと思う。


結婚


見合い結婚
 ↓
恋愛結婚
 ↓
婚活

結婚活動・・略して婚活!
これが今、想像以上に広まっているもよう。
ただの流行り言葉かと思いきや、
婚活が結婚の主流になるかもしれないと、
テレビでおじさんが真面目な顔して言ってた。

結婚って何なんだ?
時代によって、人によって、認識も違うんだろうなぁ。

私は、神聖なものだと思っていました。
とても重々しいものかと。
う〜ん・・・結婚が、っていうより、挙式のイメージを引きずってるのかも。
結婚式って、ありえないくらい人生を懸けてお送りする演劇だと思う。(あとお葬式も。)
観客参加型演劇。

演劇だけど、主演の2人が役者未経験でも十分見れるものになっている。
これは偽りなき愛があるからに違いない。
・2人の愛(これがテーマ)
・両親への愛(ドラマティックな演出付き)
・友情(主役を盛り立てる為にどんなことでもする)
嘘がないから感動するし、本気で幸せになって欲しいと観客は思う。
普段観劇する際は身構える人でも、心からの拍手を送ることが出来る。
これほどまで観客を引き寄せるデキた演劇は、他にない。

・・・と、思ったのだが。
観客が結局身内なんだな。
全く関係ない人がやはり演劇を観るような目で鑑賞したら、
さっき述べた結婚式の引力も消滅するんだろうな。
うん、残念だ。

決めてはこれかな?
観客がフィクションとして観るか、ノンフィクションとして観るか。
忌野清志郎のお葬式で竹中直人の演技みたいな涙を見てしまったら、
感動半減、感情移入もしづらくなる。


なんだかいろいろ訳の分からぬ方向に話が飛んでったけど、
結論としては
人生で一度、主演をやってみたいものです。。


2009/06/08

考えるノート


「考えるノート⑦」表です。


裏です。


私がいつも持ち歩いている、覗いてはいけないノート、第7弾。
大学入って2年と2ヶ月。7冊目までいきました。
落書きとか思った事を気ままに書いてる。
恥ずかしくて捨てちゃいたいと何度も思ったけど、
1冊も捨てずに保管してます。
見られたら泣くと思います。
(大したこと書いてないんだけどなー)

どっちかというと、思い出にしがみつくタイプだと思います。
だから実家には、もっといろいろ残してます。

例えば、小学校の時に書いた漫画の数々・・
絵は、思いっきり手塚治虫のパクリでした。
なんか説教くさいところ(環境問題、人種差別、人間関係)も、手塚治虫。

『妖怪辞典』
(ホラーが好きだった。男だと思っていた幽霊が、最終話でじつは女であることが発覚する)
『セーパームーン』
(びっくりするくらい、はしたない)
『電気少女』
(家庭の事情で心に傷を負い、電流を出せるようになった女の子の話)

あと、姉の結婚を予言したかのような漫画も書いてます(笑


捨てないものの、完璧封印です。
あの頃、よくぞあのような漫画を友達に見せてたな、と思う。
好きだったんだろうなー、
「何かを作って、人に見せる」ってことが。
おや?これって
芸術家の基本?