2011/04/04

付け足し

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あと、もらった優しさに気づくこと、
小さな思いやりを感じる感性を持つこと。

も、自分のやるべきことに、
一生忘れてはいけないことに、追加です。

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震災後、ふりかえる

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震災後、ようやく自身のブログに登場しました。豊永です。


震災から、24日が経ちました。
まだ、2回のすすり泣きしかしていません。
考えないようにしてきました。

あの日起こったこと、
被害に遭われた方々のこと、
これからの日本の行き先、
そして
自分の作品のこと。

何も考えないようにしてきました。
ニュースを見る時も、映像を直接目に焼き付けないように
被災している方と目を合わせないように
なるべく心を動かさないようにしてきました。


私は卑怯な日本人の一員です。

そしてそのことすら考えないように暮らしてきました。


神戸でも大きな地震がありました。
たくさんの別れ、
たくさんのいたたまれない死、
今なお続く、闇。


自分の記憶に刻まれた恐怖を再認識したことがきっかけとなり、
二度と繰り返してはいけない
もう誰も失いたくない
一瞬で未来を断たれる人がこれ以上出ないように、
そう想い、2年程前から地震の作品を作ってきました。



しかしそれが何になったのでしょう?

あの作品が、一人でも救えたのか?

本当に私は上記の想いを最後まで貫けたのか?



神戸の揺れを経験したし、
制作にあたって本やビデオ、資料もたくさん見てきた。
実際に神戸の方から話を聞く機会もあったし、
防災の現場も見学させてもらった。
地震の惨さは、知っていたはずだった。


なのに

私は何をした?


テレビで助け合う姿を観て、
ボランティアに行く立派な友達を送って、
私はここに留まった。


情けない。

卑怯。


こんな言葉がぴったりの、今の自分。




ただ、一つ考えたことがある。


ボランティアに行くことと、
家族や友達などをいま一度大切に思うこと。


募金することと、
優しい目つきで周りを見つめること。


同じことではないだろうか?



東北関東大震災以降、
神戸の実家に10日間程帰り、
姪っ子と遊びながら考えていた。

何も知らない生後6ヶ月の可愛い姪っ子。
何度も抱きかかえ、高い高いをした。

この子に、そして自分の親に。そして姉に兄に、おばあちゃんに、
なるべく優しく接することが自分のいま出来ることだと思った。
そんな神戸での10日間だった。


東京に戻っても、実行しようと思った。
友達や彼氏、周りの全ての人に
優しさを、安らぎを
与える存在になりたいと思った。

自分の都合や気分を後回しにして、
なるべくにこやかに過ごそうとした。


しかし、なかなか上手くいかなかった。

うざったいワガママで短気な豊永純子が出て来ては、
この考えに息を吹きかけていちいち揺るがしてくる。
心を安らぎの位置に保つことは難しい。


でもやらなければならない。
これができなければ、私は卑怯すぎて、
ボランティアに行くことも、被災地にお金を入れることも、
自分の悪臭が気になって出来そうにない。



いま考えられているのはここまで。

今後の大学院のこととか、
そこでの自分の過ごし方とか、
もっと遠い未来とか、

いまの私には考えられない。


とにかく、清い心に常に立ち返ろうと
努力をする。


いますぐ自分がやれることはこれだけ。
だと思っている。




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