2009/07/31

12日目、「見せる」と「見る」


ついに2冊目、
第2部「難波」に突入しました。
なので今日は役者メンバーがガラリと変わり、
私にとっては新鮮でした。

読み合わせ–立ち稽古
の順番で、第1場から第3場までいきました。
これからしばらくは、3シーンずつ進めていく演出計画だそうです。

1場の立ちに入った辺りで
蜷川さんの予言がありました。
「ものすごい速さでいっちゃいそうだね。楽勝だ」
その言葉通り、今日はなんと3時間少々で稽古が終わりました!
昨日は6時間弱あったので、その違いに皆驚きです。
目標を定め、進みがいい時は早く終わるその潔さが、
稽古場を緩ませないコツなのかもしれません。


1部1幕の1場は、読みだけで約25分もある、長めのシーンです。
しかし今日、1場に対してほとんどダメ出しはありませんでした。
水野美紀さん(本日、初始動!)や阿部寛さんをはじめ、
役者さんになんら問題がない、といった感じでした。
蜷川さんの口から「安心」という言葉を今日、何度か聞きました。

初始動、と先程書きましたが、
第2部で初めて、水野さん演じるナタリー・ゲルツェンが登場するのです。
今までの沈黙の期間が長かっただけに、
水野さんはどんな演技をするのだろう?
どういうナタリーを演じるのだろう?
と、私はかなりどきどきして稽古場にいきました。

今日終ってみて、こう感じました。
水野さんと阿部さんは、
「観客を引き付ける」演技をする。
細かくいうと・・聞き耳を立てる、目を凝らして見る・・
こういったことを観客にさせるのが、この2人の演技です。
以前から
阿部さんが演技を始めるとなぜか稽古場がシーンとして、
みんなが見守るように阿部さんを見つめるなぁと思っていました。
(わたしもその見つめてる中の一人です)

この現象は、池内さん1発目(稽古4日目)の
素晴らしい長台詞中にも起こったことです。
あれは・・・舞台から広がる緊張感。
絶対に観客を黙らせる圧倒的な演技。

しかし、水野さん阿部さんの作り出す緊張感は、
池内さんとはまた違う緊張感のような気がします。
より繊細、といいますか。

阿部さんは独特な台詞の「間」で、
観客の心をつかみます。
安定した演技の中に
観る者をハッとさせる切り替えがちりばめられています。
また、どたばたはしませんが、
時折動きが大胆になるので
これまた観客は意表を突かれるのです。
あくまで「安定した演技」が土台にあるように思えます。
どっしりとした重量感・・いえいえ、
「重量感」で片付けてしまってはいけませんね。
今後阿部さんの演技についていい説明が出来るよう、
もう少し研究が必要ですね・・。

さて、水野さん。
ナタリーを落ち着いた、おとなしい女性として演じていました。
少し触ったら崩れてしまいそうな女の心、
透明度の高い清らかさ。
(おそらく、水野さんのイメージを引きずってます、すみません)
全体的にあまり動きはありませんが、
安心して観れる、つまり安定しています。
確実に言葉が届いて来ます。
少し物足りなさはあるかもしれませんが、
かえってハンカチをさっと振っただけでドキっとするので有効だと思います。


2人の大きな共通点は、
「声を必要以上に張り上げない」
というところです。
(もちろん感情的になる時には大きな声になりますが。)
極端に声を落としても、問題ありません。
観客が物音ひとつ立てずに聞いているので必ず聞こえてくるのです。
むしろリアリティーが出て、
思わず役者の内面に引き込まれます。
聞こう、見ようとする観客の心をみごとにかき立てます。

観客側からして、「見たくなる演技」と「見せてもらえる演技」
(あれ?赤鬼の
 「したい女」と「してやらなくちゃならない女」・・?
 いえいえ、似てるけど違います。笑)

どちらも魅力的ですが、ひと味違った感覚です。


2009/07/30

11日目、2幕




役者の動きは、普段、その役者本人に託されます。

稽古前もしくは稽古中に、独自の動きをあみだします。
特にすごいなあ、と思う3人は
勝村さんと池内さん、あと阿部さんです。
動きに無理がなく、何度繰り返しても不自然な反復にはなりません。
華麗なほどの身軽い動きをする時もあります。
なぜそのように出来るのかというと
・無駄な緊張をせず、演技に余裕があること
・もともと身体の使い方が器用なこと
・サービス精神が旺盛なこと
が理由にあげられると思います。


この3人に限らず、皆さん当たり前のように舞台を自由に動き回ります。
思えば見学を始めて
最初の立ち稽古を観たとき・・
かなり完成度が高くて「この時点でもうお客さん呼べるよ!!」
と、興奮したのを覚えています。
私が今まで自身の劇団でやってきたレベルで言うと、
「まずは台詞を理解しよう」
から始まり、
ここは大事だからと、たっぷり時間をかけて
「相手役の台詞を聞こう」
「台詞で会話をしよう」
を皆でクリアしていって、
最終的には(お客さんの視線も考えながら)
「舞台上で感情・台詞に合った動きをしよう」
という段階に登りつめるのです。
ここまでくればたいがい、役者の身体は
観客に見せられるものになっています。

いえ・・素人と比べるのも失礼なことかもしれませんが、
上記のことをかなり高いレベルで、
しかも最初の立ち稽古で成し遂げるのですから。
「いや〜さすがプロだ!」
の一言です。

しかしこんなにすごい役者揃いの稽古場であっても、
動きが不自然で、なかなか心と動作が結びついていないな、という時があります。
そんな時、蜷川さんは演出を切り替え
まるでダンスの振付けのように細かく動作をつけていきます。
俳優にとってこれは演出家に諦められたということであり、辛いことです。
しかも指定された動きを守ろうとすると、
どうしてもわざとらしさが拭えません。

蜷川さんはやはり、役者それぞれの
自然な行動が生まれることを
待っていたいはずです。

最近演出家による動きの指定が増えてきたので、
このようなことを書きました。

2009/07/29

10日目、1幕

2日空けての稽古場です。
1部の1幕をやりました。
途中芝居を止めて役者にダメ出しする頻度が
かなり減りました。
(それでも稽古開始1時間、
 「今まで注意したことが直ってない!
  もっと必死になれ!休憩だ!」
 と中断したことはありましたが。)
そろそろ転換の流れがズムーズかとか、
作品の全体像を観ていく段階なのでしょうか?



台詞を「自分の言葉にする」ことに奮闘している役者さんがいます。
既にある言葉を、実感を持ってしゃべること・・・
とても難しいことだと思います。
蜷川さんも
そういう役者さんに実感を持たせるため、奮闘中です。
役名を役者本人の名前に変えて読ませるなどなど。
でもこれは、役者さんに是非乗り越えて欲しい点で、
蜷川さんも繰り返し注意します。



「ロシアの知的階級の風格を出せ!」
というダメ出しを受ける男優もいます。
思想のことになるとまるでスピーチのように語り、
日常の会話でさえ難しい言い回しを使用する。
そういった、知的な頭の良さが
にじみ出るような演技を、求められています。

・・知的な人の話し方って?
ダメ出しを聞いて私が理解するには、
「難しい単語が多用された文章であっても、
 対話の相手(または観客)に分かりやすく伝えられる」
ということだと思います。
知的な人は、自分の思想についても上手く説明できる。
たとえ感情が高ぶっていても、相手に分かるように順序立てて話ができます。
これもまた、難しいけれど劇に深みと説得力を持たせるには
欠かせないことです。


2009/07/26

9日目、1冊終わりました


演出補の方に連れられ、
『NINAGAWA 千の目 第19回』
を見せていただきました。
隔月『埼玉アーツシアター』という読み物が
テイクフリーで劇場に置かれるのですが、
そこに載る蜷川さん×演劇人の公開対談。
今日は勝村政信さんでした。

「今回、どのようにして役を作っている?」
という蜷川さんの問いに勝村さんは、
「自分をノイズだと思ってやっている」と返答しました。
勝村さん演じるミハイル・バクーニンという役は、
声を大にしているだけで大した思想もないが、かなりの行動屋。
そんな憎まれ役が、「如何に愛されるか」に挑戦したいらしい。
また、翻訳劇というと役者は身構えてしまう。
「そんなお固い演技は嫌いで、その中でも自分は血の通った演技をしたい。
昔の貴族だって笑う時もあれば泣く時もある、
今と変わらない人間像を描きたい」

さすが勝村さん、だと思いました。
役をまっとうするだけではないのです。
俳優としても役としても「ノイズになりたい」という
独自の使命を背負っているところから、
舞台への真剣さ(と、ある意味の余裕)がうかがえます。


稽古を観ていたらすぐ分かることですが、
蜷川さんはあまり役者に動きの指示をしたくない演出家です。
役者が上手く立ち回れないときに限って
「◯◯してみるとか、◯◯するとかあるだろ!」
と、動きを細かく指示します。
蜷川さん曰く
「役者を道具として扱いたくない」
とのことです。
いままでさんざん役者を道具として扱ってきた私にとって、
これを言われると耳が痛い。

私はおそらく、役者を物として扱っています。
それは単に動きを指定するということではなく、
根本的に役者が自分の想い描く舞台を実現してくれている、
とでも思っているのです。
私は200億で3公演とも演出をしました。
稽古は演技力を基本的な水準に上げることと、
役者を自分の理想に近づけていくことに、時間を費やします。
事後反省ですが、私は役者の喜びを奪っていたのではないか?と。
自由に動ける、何でもできる、
戯曲を守ってさえいれば。
蜷川さんの現場を見ていると、
高度な役者は稽古場を「意思表示の場」としているように思えます。
「ぼくはこんな風に解釈した」という自分なりの戯曲への返答を
身を以て皆に提示する。
意見を言うことは怖いことだし戯曲を読み込む努力が必要だから、
レベルの高いことだとは思います。
でも、すごく楽しくてやりがいがあるにちがいありません!

蜷川さんの稽古を観ていると、どんどん自分に自信がなくなってきます。

ああ、私は何も分からずになんてことをしてたんだ!
みんなの楽しみを奪って、自分だけ満たされようとして!!!

しかしいまのところ、まだまだ同じことを繰り返しそうですね。
反省しているようで懲りていません。
「恐ろしく傲慢な演出家。
 でもいいものできるんならそれでもいいじゃないか!」
という思いに、作品つくり始めたら瞬時に戻りそうです。
最終的にそれぞれの手法だし
目指すものの違い・何を大切にしたいかの違いだから!
と、開き直り・・。

う〜んでもでも、
やっぱ役者の楽しみ奪っちゃだめ。




今日で、ついに第1部を全てやり終えました。
明日と明後日は稽古始まって以来初めてのお休みです。
とは言っても、スタッフさんは休まずに働くのではないかと思うのですが・・・
役者は各人台詞を覚え、リフレッシュしてくることでしょう。
また、29日が楽しみです。


2009/07/25

8日目、速い


研究室の合宿とはいえ2日間もお休みしたので、
1階へ行って場所取りする気がひけました。気弱な豊永です。

2日空けて変わったこと。
・観音開きの大きな扉のサイズが、2倍になっていました
 (以前蜷川さんがスタッフさんにさらっと要求したことです。)
・舞台の上段が自由にスライドするようになっている
 (もしかしたら以前からかもしれませんが、
  今日動いているのを見てかなり驚きました。
  ただ、昨日シルク・ドゥ・ソレイユ シアターを
  観てしまっていたんですよね・・)
・役者、スタッフの絆が深まった?
 (いつも役者側の席に座らせていただいてます。
  この前より緊張がとけているような気がしました。
  稽古中のオーディエンスの反応も、前よりくだけていると思いました。
  おそらく今まで出ずっぱりだった4人姉妹の出番が止んだからじゃないでしょうか?)


今日は驚異的な速さで進みました。
戯曲でいうと約45ページ、シーンとしては8つ。
明日で第1部を全て終わらせようという計画なので、
舞台の転換を主に、作られていきました。
それでも役者の演技をなおざりにすることはありません。
長谷川さんや池内さんへの動き・台詞強弱などの注意が続きました。


面白くて稽古場が沸いたのは、
長谷川さんと紺野さんの愛のドギマギのシーンでした。
おそらく今日初めてやったシーンだったのですが、
かなり動きを準備していたのではないでしょうか。
サーカスの道化のシーンみたいな面白さがありました。
短いつなぎのシーンですが、
成功したら、そうとう楽しいシーンだと思います。


戯曲の中に
「カオス、過剰、そして、無慈悲」
という熱烈な台詞があります。
池内さん演じるベリンスキーが
声を荒立てて罵倒するシーンです。
蜷川さんはこの役のこの台詞に、自分を重ねているようです。
「きっと闘争心で目がギラギラしているんだ」というアドバイスからは、
蜷川さんの普段の眼差しがうかがえました。
この役に自分自身の人生を見ているのではないでしょうか?

稽古の後半、役者の演技がまだまだだ!と
悔しがっている蜷川さんがいました。
(あるレベルを超えてからの話ですが)

「あ〜悔しい!」
「おれの野心!!」

本当に演技の上手い役者によって、
今の世にあるスター制度をぶちこわす、
というのが蜷川さんの野心だそうです。
本物を観せよう、本当の舞台を作ろう、という固い意志です。
その為には今の演技レベルではダメなのだ、と。

この戯曲でもそうですが、
野心ある者が既存の制度を変えていきます。
これは時代もお国も関係なく言えることです。
「ギラギラした闘争の目」を持った人間が
勇気をふりしぼって挑む姿は、今も昔も変わらないことなのだと思います。



あ〜、あたしも革命家になりたいっ!!!



2009/07/24

合宿です

今日は稽古場の見学をおやすみして、
長谷部研究室の合宿です。
新浦安のうら・らめ〜るというところに来てます。


明日シルクドゥソレイユを観に行くので、
サーカスについて各自発表したり、
先輩にレクチャーをしていただいたりしました。
・・・あたし、サーカスのをかなり誤解してたような・・。


人と人が集まる場は、とっても楽しいです!
ゼミも稽古場も。


いろんな人と、たくさんおしゃべりしたいです!!

2009/07/22

7日目、集中力



プロの稽古場は、集中力が違います。

昨日、1部の1幕目が終わり
今日はそれのおさらいとして
オープニングから1幕目の最後までやりました。

途中止めながらではありましたが、
1幕を全部やるということで
4人姉妹役の女優さん方は、
かなり気合いが入っていたようでした。

動きも感情も大きくなっていて、
見ごたえのある演技が多くなりました。
4人で競うように上達していました。
すごいなあと思うのは、集中力です。
普通、通しの稽古は緊張するし漠然と続くので
演技が荒くなると思うのですが、
その逆でした。
新たな動きが役者から提示されたり、
むしろグレードアップしていました。
恐るべし、気合いです。


蜷川さんは、いつも通り役者の演技を細かくチェックすると共に、
1歩ひいて転換の演出についてのアイデアも出しておられました。
2幕へそのまま進めるよりも、今日1幕を全部やったことで
役者も演出家も全体が見えやすくなったのではないでしょうか。



今日、大きく時間を取ったのが、
先日見事な長台詞を披露した男優へのダメ出しです。
今までほとんど注意されていなかったのですが、
ここで急変。
台詞のイントネーションや動きに対する、
細かい注意。

「初めやったときは良かった。
 でも、もっと良くなるためには1度出来たものを解体して
 また組み立てる作業が必要。
 淡い絵にタッチを入れる。
 より確信をもって台詞を言えるように。」

「蜷川に負けるな!」

根気よく何度もダメ出しする蜷川さんと、
繰り返し立ち向かう男優さん。
そこには確実にステップアップが見えました。
レベルがひとつ上がったのです。
より高度に、より繊細に、それでいて激しく・・・



稽古の最後に、明日から2幕ということで
蜷川さんが「体で戯曲を読む」ということについて
皆に話しました。
男は、「戯曲を女だと思って犯してく」。
かなり暴力的な表現ですが
それぐらいの心持ちでやれ、ということでしょうか。
蜷川さんならではの言葉です。


「俳優は、戯曲と結婚した。」


2009/07/21

6日目、マルチビタミン飲んでGO



情報を伝える。
これは、台詞の役割のひとつです。

蜷川さんは1日に何度か
「その情報は必要だから強調して」
というアドバイスをします。
ロシアの暦が12日遅れているのは大事な情報だから、
観客に聞かせないといけないのです。

「情報には階級がある」
という蜷川さんの言葉に、なるほどな、と思いました。
(経験上)役者は、台詞を
役の感情を表すためのものだと捉えがちです。
しかしそれは観客の貴重な情報源でもあるのです。
その情報に優劣をつけるのは役者の仕事で、
演じる人の解釈によって変わってくるものだと思います。
「情報には階級がある」
ということを肝に銘じて戯曲を読むと、
同時に自分の考えもはっきりしてくる気がします。
役の感情理解に没入してしまうと見逃しがちなことですが、
劇をまとまった作品にするためには重要です。


今日は女優さんの演技に感動しました。

ひとつは、
京野ことみさんが「ほっとして笑いながら踊り出す」シーン。
楽しげな音楽にのせて、木々の間を軽快に踊ります。
感情を増幅させることに長けているのだと思います。
観ているほうも思わず楽しい気分になります。
しかしそれだけではありませんでした。
蜷川さんが「試しに音楽をとっちゃおうか」。
わたしは「音楽がなかったら京野さんもノリにくくなるし、
楽しさを表現しにくいのでは?」と思ったのですが、
それはそれは、さすが京野さんです。
動きと笑い声を大きくして、
むしろ音楽アリの時よりも楽しさを表現してみせたのです。
もう、さすがです。
しかも音楽がなくなった分、京野さんの演技に集中できます。
「安堵感」や「怖い程の喜び」も読み取ることができました。
蜷川さんは役者を信じているから
助けとなる音楽をとる、という発想になるのですね。

もうひとつ、
美波さんの「死んだ姉を回想する」シーンです。
全く演技には見えない、素晴らしいものでした。
あの声の震えや動きの変容は、演技の技術ではなく
心から人の死を悲しんでいるようにしか見えませんでした。
女優の力を目撃しました。
さすがにこの演技には、涙を堪えることは出来ませんでした。

なぜこういった「心から」の演技ができるのでしょうか?

理由のひとつに経験があると思いますが・・。
特に「死」に対する深い悲しみや「生」の喜びは、
経験しないと分からないことのように思えます。

蜷川さんは
「普段から人生を分析しろ」
と言います。
何か心を揺るがす出来事があったとき、
自分はいったいどういった反応をとるのか。
役者は、お葬式でも自分を観察しなければならないのでしょうか?
つくづく怖い職業です。





2009/07/20

稽古5日目、演出



本日のブログは、稽古場で出た
具体的な演出法をまとめようと思います。


・動きは自分で思っているより大きく

 これは特に今回の場合かもしれませんが、
 映像出身や小劇場慣れした俳優はどうにも動きが小さくなりがちです。
 背筋を張り、「目」の演技になった時に、蜷川さんは注意します。
 「体全体で演技をする」ことが必要です。
 これは私の予想なのですが、
 蜷川さんはこの作品の長さも考慮にいれているのではないでしょうか・・?
 確かに目を凝らし続けて9時間はもちません。


・登場人物の関係・構造を、視覚的に観客に見せる

 例えばAとBがCの話題をしているとしたら、
 AとBを舞台の両端に置いて、Cをそのまん中にもってきます。
 ただでさえ入り組んだ人間関係なので、時には分かりやすく
 関係図のように舞台上に登場人物を配置すると観客は助かります。


・役者への状況説明を大切にする

 「当時のこの国では会話にジョークを織りまぜることが
  知的さを示すことになる」
 と、役者に説明。


・ダメ出し、理由、(目的)、方法。それでもだめだったら対策

 若い女優の語尾の問題を取り上げると、
 ダメ出し→「〜でぇ、」って言わない
 理由→それは同世代の人間にしか通用しない言葉だから
 目的→普遍的な舞台をつくりたい
 方法→語尾ではなく強調すべき単語を強調しろ
 
 それでも直らなかった場合、
 対策→自分の意志を伝えようとすればいい

 こうやって、究極のアドバイスに到達する蜷川さん。
 (しかもだいたい同じところにたどり着きます。
  筋が通っているから、すべてのダメ出しにブレがないのだと思います。)



今日のところはここら辺で・・・
明日はもっとちゃんとした文章書きます!!


2009/07/19

稽古4日目、揺さぶられる




オープニングから順に、
役者の動きや舞台美術を決めながら
若い俳優の演技を中心に改善しつつ、進めています。
かなり手際良く進行するので、
早くもⅠ部の第1幕は終わりに近付いています。

この完璧な稽古を支えているのは、
優秀なスタッフの努力です。
毎晩10時まで劇場に残り
「蜷川さんはこんな風に稽古を進めるだろう」と、
スタッフであれこれ翌日のシミュレーションをしているそうです。

美術スタッフは、蜷川さんのつぶやきをも逃しません。
昨日「カーテンの「シャーッ」って音がうるさいね」と
ひとこと言っただけで、もう次の日には音の少ないものに変わっています。
「ハンモックを置くため舞台の幅を広げて欲しい」と蜷川さん。
その場で美術スタッフは「その時だけ台を追加してはどうか」という意見でした。
しかし、次の日には舞台が広がっているのです!
少しの妥協も許さない、素晴らしいスタッフワークです。

「10分休憩」「今日はここで終わり」という声が、
美術スタッフの「よーいスタート」にあたります。

次のシーンの用意や役者の衣装替え、
本日の問題点の改善へと
一斉に動き出します。


演出部スタッフは役者とも深く関わります。
若い役者の自主練には必ず付き添い、
蜷川さんの意図を理解した上で
アドバイスとエールを送ります。

役者さんにとって、かなり心の支えになっているのではないでしょうか。


といっても、元から器量のよい人間だけが
集まったわけではないと思うのです。
これは蜷川さんの「教育」の賜物でもあると思います。

スタッフの一人が腰を曲げて舞台模型を眺めているところ、
蜷川さんが後ろを通り過ぎざまにポン、っと腰を押しました。
そんなさりげない姿勢ですら観察しているのですから、
スタッフになって始めの方は、徹底的に教育されているのだろうなあと思います。

また、絶対的な信頼関係。
スタッフは言うまでもなく演出家を尊敬し信頼しています。
そして演出家はスタッフの働きっぷりをよく褒めるし、
敬って差し入れもします。
強い絆です。
皆が関わっていることに誇りを持てる現場です。


4日間絶える事のなかった、
若い女優への「語尾」「強調」の注意について、
今日新たに明らかになった事があります。
何度も口をすっぱくして繰り返していたのにはわけがあります。

若者がよくやる
「・・・で、」「・・・は、」といった
接続部分を無意味にのばしたり強調させたりする話し方は、
「今の若者」特有の口調であって、
「普遍的」なものではない。
蜷川さんは「普遍的」な舞台を目指しています。
だからそういった、世代を限定するような流行りものの言葉を
舞台に持ち込まないでほしい、ということでした。

この説明を聞いて、役者はかなり焦ったのではないでしょうか。
単に若者口調を嫌ってダメ出しをしているわけではなかったのです。
自分達にとって悪気のない口調の癖が、
蜷川さんの表現の信念を汚していることになっていたのですから・・。



池内博之さん。
彼の長台詞に、稽古場の皆が硬直しました。
すご過ぎてです!
私は涙を流し拍手をする寸前でした。
初めての立ち稽古であのクオリティー、
あの読解力、あの表現力、あの。。
すでに戯曲の台詞は、池内さんの体内を何周もしています。
もうすっかり、池内さんの言葉です。

蜷川さんもついつい何度も褒めます。
「池内、いいかんじだよ」
「よく勉強したな。もっと高度なところにいくけどな」

池内さんの迫真の演技により、
稽古場が引き締まったのを感じました。
どこまでも高い目標を追っていく意志が
全体に広がった、といいますか。

ああ・・演技ってあんなに素晴らしいものなのですね!
わたしはもう、思い出しただけでグッときます。
今回の稽古を見学させて頂くことは、
なんども言うようですがとても贅沢なことです。
舞台ってやっぱ素敵です。
演劇って心を揺さぶるパワーを持っています。



演出家、本日の名言。

『何かモノを考えるとき、僕はミニチュアに物事を考える』

→哲学者の役の演技指導の時に出たことば。
 俳優が今ある自分を信じ過ぎて、伸びやかに台詞を喋っていました。
 それに対して、「何かを作る者」「生み出す者」の視点は
 そんなにのびのびしていない、と。

なかなか一般の人の口から出てくる言葉ではないと思います。
蜷川さんは改めて怖い(凄い)お人だな、と思いました。


2009/07/18

稽古3日目、母が来る




今日は、蜷川さんの演出術を
たくさん聞けた一日でした。
役者の立ち位置のことや、
ちょっとした演技の工夫、
深みの出し方、
感情を観客に伝えるポイントなど、
かなり具体的にためになりました。
指示する前にその理由を述べ、
役者を納得させるところがすごいなあと思います。
「なぜこうしなきゃいけないの?」と思わせないところが
お互いの関係をよりよく保ち、「信頼」しあう秘訣なのだと思います。


それにしても、若い女優陣は
語尾の難しさに苦戦中です。

(これを言われるととても悔しい気持ちになりますが)
若者は私生活であまり主張をしなくなった故に、
言葉からも主張が消えたそうです。
こんなとき蜷川さんは、頻繁に
「強調しなさい」というアドバイスを送ります。
語尾が無意味に伸びてしまうのを防ぐためには、
強調すべき語をきっちりと意識すれば解消される、と。
つまりは、台詞に込められている意志を明確にして
伝えたい気持ちを第1に表現することに意識を配れ、ということです。

確かに、蜷川さんによって改善されたあとは、
言葉がとても伝わりやすくなります。

しかし日常の癖はなかなか直せません。
蜷川さんは何度も根気よく注意します。




私を元気付けに、
母がはるばる神戸からやって来ました。

劇場からの家路、
お祭りで通りがにぎわっていたので
晩ご飯を買うべく、人ごみに入っていきました。

ここはやたらと若い人が多く、
お神輿を担ぎわっせわっせと大騒ぎ。
(ヤンキーみたいな人が大量にいて、
盛り上げていました。)

コースト・オブ・ユートピアを読み、
180年前ロシアの
若い人の力強さには驚きました。
そういう活発な世代によって、さまざまな革命がありました。

わたしは芸術で人の心や人生を変えたいと思っていますが、
「革命家」になる勇気は(今のところ)ありません。
このふんぎりの悪さでは、
結局のところ何者にもなれずに
一生がおわってしまいそうです。

コースト・オブ・ユートピアの登場人物は
それぞれの思想や信念を持っています。
気持ちは移ろいやすくても、
その時その時で信じるものがあり、それが強さにつながります。

・・・しかし恋愛になったら急に頼りなくなったり・・
純情すぎて、笑ってしまうようなところもあります。

蜷川さんも
そういった、多様な面を持つ人間を
生き生きと描こうとしているのではないでしょうか。




2009/07/17

稽古2日目、少し状況に慣れる



2日目になりました。
稽古の1時間前に行くと、もう既に役者さんがちらほら。
蜷川さんもいらっしゃいました。
劇場の前で元気よくサッカーをしていたのは、勝村政信さんでした。

明日はもっと早く稽古場に入らなくては!


今日は冒頭のシーンから
細かく立ち位置まで決めていきました。
2日目にして立ち稽古に入るのは、
尋常じゃない早さです。鮮やかです。

蜷川さんは何でも「やって」みます。

冒頭についても、
はじめ蜷川さんが演出プランを発表した時は
あまりにも出来そうに思えなかったのか、
役者さんもスタッフも少々困惑気味でした。

しかし「やって」みると・・・
少しくらい無理してでも、ぜひ実現させたい演出内容でした。
観ている側は、いっぺんに納得したのではないでしょうか?

(どんな演出かは明らかにできませんが、)
冒頭のシーンは
『2009年 日本→1833年 ロシア』
の違和感をなるべく減らすという意図で発案されました。
「今から翻訳劇を日本人がやりますよ」という
ベル(合図)のような役割をしていると思います。
お見事です。

こういうところが、演出家として学ぶべき点だと思います。

本当に、蜷川さんは冒頭のマジックで
観客を舞台のとりこにしてしまうのですね。




今日、蜷川さんが稽古中にこんなことをおっしゃられました。

「いい芝居なら、なにやってもいい」

いい芝居にするためには手段を選ばないという意味です。
この時は役者の立ち位置や動きを作る際の言葉なのですが、
この信念は、蜷川さんの演出現場でおおいに活躍しています。

今日の稽古前、
チェーホフの『三人姉妹』のビデオを皆で観ました。
「4人姉妹にはこんな風にやってほしい」と、蜷川さん。
動作の指示も、実際に舞台に入ってやっちゃいます。


ここだけの話ですが・・
休憩中ある役者さんたちが、
「蜷川さんってとても優しい人だね」
「ダメ出ししてもその後ちゃんとフォローするしね」
「あんないい人他にいないよ!」
と、蜷川さんを褒めちぎっていました。

もうすっかり役者さんの心も掴んでいるのですね!
演劇で一番大切な「信頼関係」が
2日目にして出来上がっていました。





写真は戯曲に頻繁に出てくる「あずまや」

これは日本のあずまやだと思いますが。
皆さん、日常的に良く使う言葉なのでしょうか?
私ははじめ、何の事を言っているのかわかりませんでした。
何となく「あばらや」を思い浮かべていたのですが、
そんなにずれてはいなかったようです。(?)

1830年、40年代のロシアのお話なので、
こういう、想像が及ばないことがよくあります。

蜷川さんは
時代や歴史に足を捕らわれすぎないで
役の心情を第一に戯曲を理解していくように、と
初日におっしゃられました。

しかし私はロシアのことも、その時代のことも、
知らなさすぎるようです。




2009/07/16

稽古初日、顔合わせ




顔合わせは10:30からなので、
9:30に彩の国さいたま芸術劇場(以下、さいげき)で待ち合わせ、
藤Tさんに連れられ蜷川さんにごあいさつしました。
その時の蜷川さんの

「居場所を見つけるのもセンスだよ」

という一言が、印象的です。

今回共に見学をするつくDさんと
2階の荷物置き場に上がり、
1階の稽古場を見ました。

稽古場にはもうすでに立派な舞台セットが組まれており、
「うわさ通りだ!」

またそこで、
「私は蜷川さんの稽古を見学させてもらうんだなあ」
と実感したりしました。



1日中、2階の暗がりから
蜷川さんをじーーーっと凝視していたので、
私はまるでストーカーです。
稽古が始まる前は、スタッフの方々と挨拶されていました。
お昼の20分休憩では、案外誰も蜷川さんに近付かないんですね。
役者さんはほとんど稽古場からいなくなり、
スタッフの方も、忙しそうに動き回っていました。
休憩が終わる少し前、ひとり蜷川さんが
稽古場を見渡せる場所に立ち、
ポケットに手を入れて全体を眺めていました。
「さあ、いよいよ始まるぞ」
と、心の中の声が聞こえた気がしました。

稽古場はやはり、蜷川さんを中心に回っています。

稽古始めの蜷川さんの言葉の間、
役者陣はぴったり動きを止めて聞き入っていました。
(本当に、静止画のようでした!)
そこから役者さんの気合いとやる気がよく見えました。


今日の読み合わせは第一部のみで終わりましたが
私は緊張と集中で、へとへとです。
明日から1階で見学ができるかも・・。
栄養ドリンクでも飲んで、シャンとして、
日々の稽古場の動向を見逃さないようにしていきたいです。



2009/07/15

いよいよのほんまち





今日、古美術研究旅行の提出課題を終わらせたあと、

急いで新宿に行き、契約をして、

さいたま与野本町の新居にはいりました。

もうすぐ21歳、2009年は埼玉の夏!



9月に渋谷のコクーンで上演される
蜷川さん演出、

『コースト・オブ・ユートピア』

の稽古を、まるまる2ヶ月
見学させていただくことになりました。
(先生ありがとうございます、
 藤Tさんありがとうございます、
 そして蜷川さんよろしくお願いします。)



いよいよ明日からということで、
この稽古見学の意味をここに書きます。(稽古が始まると、また増えるかもです)

超一流のメンバーによる舞台が出来上がっていく様子を、
目をギラギラさせて、
しっかりと見てきます。

自分の作り方とはどう違うのか?
演出家とスタッフとのやり取りは?
蜷川さんの稽古の進め方は?役者との関係は?
演出家がどんな言葉を掛けた時に、
心動かされる演技がうまれるのか?

見て、比べて、分析して、発見したいです。
そして、
今までのようにがむしゃらに突っ走るだけの豊永純子を
卒業したいと思います。


「見学」という勉強の立場なのですが、
観客のようなワクワクがあります。
蜷川さんがあの超大作にどんな魔法を使って
舞台を作り上げていくのか。
間近で見学できるなんて、贅沢!
蜷川さんはいま、明日の稽古初日に向けて
何を考えていらっしゃるのでしょうか・・?

そんな事を想いながら、どきどきして眠れません。
まるで遠足前夜の小学生です。







頑張ります!