2009/08/31

38日目、3部1幕かえし


劇場に来る観客は予想だにしないでしょう・・
稽古場で勝村さんと水野さんが格闘技しているなんて。

さてさて
8月最後の日。
案外、蜷川さんや稽古場の雰囲気は和やかです。
しかし役者さんの自主練からは、
以前にも増して真剣さが感じられます。
にぎやかで明るいのですが、
どこか張りつめている。そんな印象の稽古場です。


今日のヤマバ、
何度も止めてやり直したのは
ミハイルバクーニン(勝村さん)とゲルツェン(阿部さん)の
2人のシーンです。
舞台上に飾りは全く無く、
男2人、真剣勝負。

「上手くいってない。
 おれの理想はもっとすごい。壮大だ。」
という言葉から、蜷川さんの
このシーンに懸ける想いが伝わってきました。
普段はほとんどダメ出しを受けない2人ですが、
今日は違います。

特に勝村さんにとっては
役に対する根本的な理解力が必要とされる、
かなり重要なシーンのようです。
「バクーニンのたましいがゲルツェンを励ます」
という高度な要求がありました。

2009/08/30

37日目、2部2幕かえし


今日は選挙なので、いつもより1時間遅くスタート。
2部の2幕を昨日のように、
ところどころ止めながら進めていきました。

「劇場に入ったらもうこんなこと出来ない」と、
ある若手男優Mの1時間に渡る特訓がありました。
その特訓の目指すところは、
『Mさんが演技を通して他者に向き合い
心の揺らぎをあらわにする』ことです。

蜷川さんから様々な指摘がありました。

・言葉に意味がない
 自分のものになっていない
・ブツブツ切れすぎ
・正面を見過ぎ
 スクエア、水平になってる
・べらべら言ってる(状況からすると、絞り出して言う言葉)
・力んでいる

そして細やかなアドバイス。

・符号を使う
  人類共通のルールを使って、解説的に。
  例えば「悩んでいる」ということを伝えるために
  うつむいたり声のトーンを下げたりする。

・自分でイメージを持つ
  共演の阿部さんの目は、いろいろ問いかけてくる。
  それに対して答えようとしたり、
  答えられなくて目をそらして考えたりすればいい。

  「かたくなに」(ト書きにかいてある)自分を正当化しようと
  考えながら言葉を絞り出す
  →役の心のブレが見えてくる
  →結果、役の本音を見せられる

・役が使い慣れているであろう言葉はスラスラと

・演劇はもっと自由だと考える
 演劇だからってべらべら喋る必要はない


Mさんはかなり苦労しています。
根本的な演技の問題なので、
注意されてすぐに直るものではありません。
しかし『コースト・オブ・ユートピア』を通して
今回これらを乗り越えることが出来たら、
Mさんにとって今後大きな財産になること間違いなしです。


その他、本日のメニュー。

◉ただの喜劇と大人演劇との演技の使い分け
  「こんなところシリアスにやったらバカバカしい」喜劇のシーン
   ・台詞の間を詰めて、速く言う  
   ・わがまま女のつまらない悩み
     →大げさに嘆く
    くだらない初体験の話
     →気軽に、雑に
  「ヨーロッパ風の男女の関係」大人のシーン
   ・男女の複雑な関係を微妙なやりとりで表す
   ・関係のない動きは極力無くす

◉劇場規模を考えた演技の要求
  シアターコクーンは大きくて天井が高いため、空気を作りにくい。
  なので低空飛行の演技では飽きてしまう。
  声が小さいと、観客が耳をすまさなければならないので、辛い。

◉2部の終わりに、新演出が加わる
  ゲルツェン(の病気の息子)がパリへ行くことを許可され
  妻子・友人と喜びながら去っていくシーン。
  蜷川さんはある工夫をする。
   →結果、
    喜びの裏に待ち受ける悲しみ(息子も妻も死んでしまう)が
    上手く感動的に表現された。

2009/08/29

36日目、2部1幕かえし




藤井千秋さんの抒情画と、地獄絵です。
この2つの絵、
同じ人類が描いたと思えないです。


本番に向け、スタッフが続々と増えていきます。
新聞などの取材の方々も来ていたので、
稽古場はかなりの人数です。


今日は昨日よりも慎重な返しでした。
昨日1部を全て終えたのに対し、
今日は2部の1幕目のみです。
(その分、昨日より2時間半ほど早く終わりました)


本日はこのような内容でした。

◉オガリョーフ(石丸さん)の台詞の心理とその表し方
  親友の浮気を「おもしろい」と言うに至る、2つの想い
   蜷川さん的解釈)
   ・親友をかばう気持ち
   ・親友の妻の悩みを少しでも軽くしようという思いやり
  否定の意志を行動で表す(本の投げ方)
  重要な話題かそうでないかの優先順位を意識せよ

◉2部あたまのシーンの不明瞭な部分を解消
  このシーンで観客に感じ取って欲しいこと
  ・まだ職もない青年たちが田舎でくつろいでいる
   未熟ではあるが、キラリと光るものを持っている
   特にツルゲーネフは作家の素質が言葉からにじみ出ている
  ・なんとなく不揃いな、ずれているような不安定さ
   今後の波乱を示唆
  その為には
   ツルゲーネフ(別所さん)
   オガリョーフ(石丸さん)
  の現時点での特徴を明らかにする

◉子供がコマを回し、それを見つめる大人たちの心情
  新しく演出を加え、それぞれの想いがより明瞭に観客に伝わるようにする
  同時にナタリー(水野さん)とゲオルク(松尾さん)が
  今後親密な関係になるということを示す
  →演出家の戦略アリ。
   このシーンは過剰なくらい、親切に、観客へ丁寧に伝えます。
   「そうすると客が今後もディテールを見てくれるようになる」

◉昨日同様、ツルゲーネフ(別所さん)の性格形成
  →蜷川さんの中ではかなり出来上がってはいるものの
   実際、なかなかそれに到達しません。
   ダメ出しされた箇所はクリアしますが、
   カラダにはまだ染みついていない感じです。
   今後も課題になりそうです。

◉転換の手順確認

◉音響の変更


2009/08/28

35日目、1部かえし


ついに、始めに戻りました。
今日は1部の1幕と2幕を両方やりました。
稽古時間はなんと約7時間。
おそらく明日は2部、明後日は3部を全てやると思うので、
集中力と体力勝負です。

さて、今日の1部の通しについてですが、
全くブランクを感じさせないものでした。
3部の稽古をやっている時、役者さんは
稽古前に早く来て、
自主的に1部の頭から稽古していたのです。
そのやる気が、今日の結果としてあらわれました。
ブランクを感じさせない、というより
以前やった時よりもスムーズに演技が運ぶようになっています。
決めた動きも、完璧にこなします。
さらにベテラン役者さんは、
演技中にユーモアを織りまぜ、笑いを誘います。

スタッフさんもさすがです。
今日のために、何度も打ち合わせや
転換の整理を繰り返したのだと思います。


本日蜷川さんがこだわった点は、以下です。

◉ツルゲーネフ(別所さん)の人格形成
  別所さんの目指すツルゲーネフ像を軌道修正

◉ある若手女優への発音、台詞の言い方注意
  稽古の初期から言われ続けている語尾の問題
  (もうこれは、本人が必死に繰り返し唱えて、
   正しい言葉に慣れるしか無いと思います。
   稽古場の皆、彼女が克服することを待ち望んでいます。)

◉ある若手男優への台詞の言い方注意
  演歌みたいに色がつく独特な言い回しを指摘し
  強調箇所を細かく教える

◉池内さんと毬谷さんが思いやるシーン
  池内さん演じるベリンスキーが
  驚くほど心に深い傷を負ったこと、
  毬谷さん演じる貧しい娼婦が
  案外利口で洞察力のある女性であるということを、
  丁寧に役者に演じさせる

◉長谷川さんと池内さんのシーン
  長谷川さん演じるスタンケーウィチが
  病気でかなり弱っていて、
  もうすぐ死んでしまうことを観客に印象づける
  同時に、
  それをいたわり介抱する池内さん
  という構造を、細かい動きの指定によって整理する



全体的に、役者さんの努力と思索によって、
キャラクターが明確になってきつつあります。
哲学オタクの男性陣や、女優では麻美さんなどが、
どんどん自由になっています。
生き生きして、人間味あふれる舞台に向っていると思います。

終わりがあるということに


いつ気付いたのか。

自分はいずれ死んでしまう、それは仕方ないということを、
私はいつ理解したのか。


お昼ご飯を食べている時に思ったのです。
食べる前は、食べ物の味とか
食べるということそのものに、心躍らせます。
しかし、
食べて味を認知して、
食べるという行為に慣れてきた時、
「食べ終わること」が目的となり
終わりへのカウントダウンが始まるのです。
だから、食べることは虚しいのです。

食べることだけではありません。
例えばランニング、寝る、映画を観る、などもそうです。


私は人生を終わらせることを目的にしたくありません。
大事にしたいのはその中身、内容です。

2009/08/27

8月最後の休日です


今日は稽古はお休みです。
なので以前から気になっていた
ランチバイキングに行くことにしました。



「与野公園入口角徒歩30秒」
というあまりにもアバウトすぎる指示に従い、
探検気分で与野公園へくり出しました。
しかし、広い与野公園には入口がありすぎて、
公園をぐるりと回ってみても、このようなお店は見当たりません。
探検は諦め、看板に記された番号に電話をかけてみることにしました。
すると・・ナカムラさんが出ました。
お店はもうつぶれてしまったようです。
このお店のランチバイキングを食べる為に休日を心待ちにしていたので、
とても悲しい気持ちになりました。
後始末を忘れずに、
思わせぶりなことはしてはいけない、
今日学んだことです。


気を取り直して、ブリヂストン美術館に行きました。
名画に癒されました。
「わあ!あの絵、素敵」
と近付いてみると、マティスやピカソやルノワールなんです。
やはり巨匠と称されるからには理由があるのですね、
人々を惹き付ける力があります。
上手く説明出来ませんが。

その他、いままで知らなかった面白い画家を発見しました。
とても有意義な芸術鑑賞でした。


夕方、池袋の東京芸術劇場に行きました。
野田さんの『ザ・ダイバー』の当日券が手に入らなくて
店が潰れていたのと同様、悲しい気持ちになりました。
(なんと、コースト・オブ・ユートピアの稽古見学をされている
 ニナガワスタジオのMさんも、当日券の列に並んでいましたが
 GETならず。)
『But-a-I』の野外舞台に日比野先生がいらっしゃいました。
ご挨拶して、その後、Mさんと共に刺繍作業に加わりました。


ペアとお話したり、無心になったりしながら
ただひたすら単純作業を繰り返す、
楽しいひとときでした。



大学の同級生ハマーもこのワークショップに来ていて、
お互い近況報告をしました。
クラスの友達と話すのは久しぶりで、
これまた楽しいひとときでした。

夏休み、同級生や高校の上京組はバラバラに散ってしまいます。
この大きな休みの間、
旅行や帰省・その他様々な目的でみんな大忙しです。
稽古見学は毎日観てばかりだし、
見学が終ったらひたすら絵を描くし、
このままいくと口の筋肉が固まってしまうのではないかと思う程です。
口を動かしたいです。
(なるほど。最近の異常な過食はこういう理由だったのだ。)

2009/08/26

34日目、いよいよ


肖像画はついに完成だ!もうこれ以上描けない!
と思ったら・・
髪色変更です。あらあら。


いよいよラストシーンの演出も終わり、
次の稽古は1部の始めからになります。
これから舞台稽古までの約1週間、
演出家はどのようなことをしていくのでしょうか。

演出家が今後1週間でやっていくであろうことを、私なりに考えてみます。
【各キャラクターの確立】
  特に話を進めていく主要なキャラクターについて。
  また、哲学者らにより性格の違いを作る事によって、
  9時間という長丁場に耐えうるため
  作品に強度と人間味を加えていくことでしょう。
【観せたいものが優先順位通りに表れているかの確認】
  演出家的こだわりの追求。
【新解釈の導入】
  稽古が始まってから、もう1ヶ月以上経ちます。
  後半の演出をやるうちに新たに気付いたことや、
  戯曲の読み込みによる新解釈が、あるはずです。



上記とは関係なく、ものすごく個人的な感想をいいますと・・・
私は、石丸さん演じるオガリョーフが大好きです。
悩みつつも、すべての現実を受け入れようとする寛容さ。
皆を包み込む温かさ。
万人を愛します。
友人の失敗も許します。
傷ついた人をそっとフォローします。
オガリョーフは妻を次々と寝取られ、
とても可哀想な役なのですが。
石丸さんが舞台上で見せる笑顔から、
辛いことがあってもめげない
オガリョーフの力強さが伝わってきます。
もう、本当に大好きなのです。
こうなったらオガリョーフが好きなのか
石丸さんという役者が好きなのか
わからないくらいです。
しかし、ここで問題が。
オガリョーフが登場すると、
彼に過剰に気持ちを動かされてしまうのです。
可哀想で可哀想で・・
「あ、もう、このやろーナターシャ!」
といった感じです。
私が演出家だったら、
演出家の特権を使って
オガリョーフを擁護してしまいそうです。

また、別所さん演じるツルゲーネフも
とても良い役だと思います。
こちらには恋はしていませんが。
私としては
「こうみえても、いじられ役」
という感じが今より出たらいいなと思います。
身長が高くて顔が良く、
詩的でかっこいいツルゲーネフ。
しかしひょうきんな一面があり、
友人にいつまでも叶わなかった恋のことを言われ続ける。
ツルゲーネフは人に害を与えない、愛されキャラです。
きっと、田舎の血が流れていて、
のんびりとした時間を持っているのだと思います。

私はこの戯曲が好きです。
この戯曲に登場する人間が好きだからです。


2009/08/25

33日目、男の友情


1時間以上にわたり、
休憩も無しにこだわり続けたシーンがあります。
ミハイル・バクーニン(勝村さん)がシベリアから脱走してきて、
ゲルツェン(阿部さん)、オガリョーフ(石丸さん)と
久しぶりに再会するシーンです。

蜷川さんはこの戯曲を読み解くときに、
「男の友情」をひとつの大切なテーマとしているようです。
なぜなら、男の友情の表現にこだわるのは
これが初めてではないからです。

そして男の友情の最大値が、
まさにこの場面なのではないでしょうか。

ミハイルは暴力的な思考ゆえ、
ゲルツェンとオガリョーフに長い間会わないうちに
相変わらず波瀾万丈な生活を送っていました。
革命に参加したことで逮捕され、要塞へ。そしてシベリア流刑。
いろいろな苦労を乗り越え、
容姿もすっかり変わってしまいます。(太ります)

ゲルとオガは、ミハイルが脱走したことは聞いていても、
まさかゲルツェン宅にやってくることは思いもよらないのです。
しかも見違えるほど太っているので、
一目ではミハイルであると分からないのです。

演出家の指示無しにやったとき、
阿部さんと石丸さんは
まるで不審者が入って来たかのような反応をします。
 これは誰だ?ミハイルか?
 いや、ミハイルがまさか・・
と、不審に思う時間をタップリとっていました。
それに対して蜷川さんは
「受け入れて笑顔になるタイミングを早くして」

その後、何度も何度も指示とやり直しを繰り返し、
爆発的にはしゃぐ男たちを作り上げていきました。

ミハイルが来た驚き、
会わない間の苦労への心配、
そして会えた喜び。
相変わらず嵐のように登場するミハイルと
その元気さ力強さに巻き込まれる
ゲルツェンとオガリョーフ。

この構図がはっきりと分かる、
とても興奮度の高いシーンになりました。


このシーン、
ここまで激しく「男の友情」色を濃くする演出は、
蜷川さん独自のものだと思います。
私にはない発想でした。
私の場合なら、目先の面白さにとらわれてしまうと思います。
(嵐のように転がり込んでくる太ったなれなれしい男、
 誰だ?という戸惑うゲルとオガ、
 そして「太ったな」というゲルツェンの第一声。)

しかし完成したものを観て思いました。
このシーンはやはり蜷川さんのように
男の友情を優先させたほうが、
ずっと人間味と説得力のある舞台になります。


豊永、惨敗。


2009/08/24

32日目、解釈の自由


戯曲を自分の感性で読み解いていくことは、
楽しくてやりがいのある作業だと思います。

この現場では、解釈を演出家が独り占めすることはありません。
見学に来る前は、これほど大きな団体だから
さぞかし徹底した解釈の統一(もちろん演出家による)が
行われるのだと思っていましたが。

例えば音響。
音響さんが自由な発想で戯曲に書かれていない音を稽古で流します。
「天地がひっくり返った」というト書きに対して、
ガラスが割れたような音を流しました。
結局ここは役者の演技だけで表現しようということになりましたが、
蜷川さんは音響さんをおおいに評価しました。

また、役者にも人物像や言動の理由、ト書きの表し方など、
あらゆる場面で解釈は託されます。
今回の戯曲ですが、登場人物が全部で70人を越えるとか・・
それだけ壮大な物語であれば、
当然いろいろな解釈が発生するし、
解釈の違いによって印象の違いがひらいていくでしょう。

蜷川さんが、
「娼婦って何?」という台詞のある役者さんに
こんな質問をしていました。
「その言葉は、本当に分からなくて言っているのか?
 それとも知っていてあえて当てつけで言っているのか?」
細かな解釈(選択)によって、
キャラクターが形成されていく。
これも、人物像を左右する重要な選択です。
役者さんは
「本当に分からなくて言っている」
と答えました。
蜷川さん自身も、この選択の答えは用意していたはずです。
しかし、意見を言わずに役者に尋ねるところから、
解釈が託されていることがわかります。

衣装や美術に対してもそうです。
各自の読み解き方で自由に発想していきます。
「◯◯であるはずだ」という決めつけをなるべく
排除していかなければならないので、
自由な発想というのは、なかなか難しいものです。


もちろん、蜷川さんが何も言わないわけではありません。
譲れないポイントがあったり
より効果的な見せ方がある時には、
すばやく指摘します。
しかし
「違うだろ、そこは◯◯にしなきゃおかしいだろ」
という決めつけた言い方ではなく、
「◯◯にしてくれるかな」
「◯◯でやってみてくれる」
など、指示が「提案」調です。


私はこのことを受け、
何でもかんでも自分の解釈が一番だと思い
自分色に染め上げようとしていた過去を振り返り、
自己反省の日々です。
今後、この稽古場のようにみんなで読み解く環境を
作っていけるのでしょうか?
怪しいところです。
なぜなら、もうすでに
この稽古場に対しても
「いやいや、私だったら絶対こうするけどな」
とか
「こうしなきゃ変でしょ!」
などという意見を言いたくてしかたない時がしばしばあるのです・・・

2009/08/23

31日目、よい演出家とは



昨日、上手くなったと感じた若手男優ですが、
今日は特にそう思いませんでした。

思いおこしてみると、
昨日は台詞にリズムの変化がありました。
この役者さん(Hさん)はいつも句読点の間がありすぎて、
台詞がブチブチと切れてしまうのです。
蜷川さんが一昨日こう指摘していました。
「Hは、論点をきちきちと言うから、頭が良さそうに見える。
 こういう人は、論争で他の役者(例えば俺)に勝つ。
 それはHの特徴だが、一方で
 人間として血が通っていないと誤解されてしまう。
 人間性を疑われる。」

この指摘を受けて、昨日は意図的に
台詞のリズムを変えたのではないでしょうか?
今後この役者さんは
句読点を厳守してブレスをいれるのではなく、
時には長い台詞をひとつづきに言ったり、
思いがけないところに間を作ったり・・
私たちが日常でよく「感情のままに」喋るように、
時折リズムの崩しをいれていけば
さらによくなると思います。


なぜこんなことを書くのかと言いますと・・
これは私の練習です。


私は今まで、
良い演出家が役者指導において
一般の人より、圧倒的に優れた洞察力を持っていると
考えていました。
しかし最近、
演出家の「良い」と「悪い」の分岐点は
違うところにあるのだと思うようになりました。

演劇を知り合いと観に行った時、たいていの場合、
良かった役者・良くなかった役者の答え合わせは一致します。
みんな分かるんだと思います。
なんとなくいいな、
惹き付けられるな、
という程度であればどんな観客にも不思議と。
日常で「空気をよめる人・よめない人」がいるように、
個人差はありますが。

私だって、稽古を見学していて
役者の演技についてとやかく思うことがあります。
しかし
それを「言葉」にして役者に気付かせ、
良い方向に導いていけるかどうかが、
先程述べた(最近発見した)演出家の分岐点なのです。
蜷川さんの指摘を聞いて、
「そうそう、私もそう思っていました」
ということはあっても、
私自身、蜷川さんが話したような事を言えるかといえば・・
まったくもってそうではないのです。

この役者が「なんとなく」良いか悪いか
という曖昧なジャッチで止まるのは、凡人です。私です。
しかしそこから発展し
・どこがどう良い、悪いのか → 分析
・まるで◯◯みたいで    → 役者本人に気付かせる
・どうすればいいのか    → 対策
という項目を確実に言葉にして伝えられる力があって初めて、
役者指導におけるいい演出家だと周りに認められるのではないでしょうか。

2009/08/22

30日目、終わりに近付く


昨日読み合わせた場所の、立ち稽古でした。

やはり演出は役者の様子を見ながら
同時進行で行われます。

劇も終盤に差しかかったということで、
観客への配慮もみられます。
7・8時間観劇した、疲れや集中力切れへの配慮です。
場の雰囲気を舞台美術でガラっと変える、など。

今日の稽古を観て、
私は、ある若手男優が演技の技術を上げたのではないかと思いました。
しばらく出番のないシーンが続いた方です。
でも、毎日のように稽古に来ていました。
腕を上げたのではないかということについて、
まだ十分な確信は得ていません。
なので、明日の稽古で再び彼の演技を注意深く観ようと思います。


2009/08/21

29日目、ああ考えてない私


今日は3部の2幕に入り読み合わせのみだったので、
稽古時間も短めです。

最近、考えなきゃだめだなあと思う機会が何度かありました。
稽古を見学して、
爆笑問題の芸大特集を見て、
テレビで精子バンクについて議論してるのを聞いて、
演劇を観て・・・

考えようとしなければ見過ごしてしまうことがたくさんあると思います。
考えなければ自分の意見もまとまらないし、
今後の方向性も見えて来ない。


2009/08/20

28日目、スクエア


『ビデにまたがる女』
ドガの模写です。

『ナタリーの肖像画』
以前のものは稽古用で、今日から本番用を描き始めました。


蜷川さんは役者へのダメ出しの時、
「スクエア」という表現をよく使います。
初めて聞いたときには何のことか理解できなかったのですが
最近はもう分かります。

それは硬い演技や柔軟でない発想を意味します。

例えば動きです。
客席・舞台を意識しすぎて
言葉通り「しかくい」動作をしてしまう時です。
直角な移動、
床に対し垂直な姿勢、
カラダに軸が通っているかのような振り向き。
これらは観ていて不自然で、時として
「ああこれは演技なんだ」と観客を夢から覚ましてしまうことになります。

また、先程「柔軟でない発想」と書きましたが
戯曲の言葉から役の心情を推察せず、ごく普通にやってしまう時にも
「スクエアだ」というダメ出しがはいります。
言葉がただ綺麗に発語されているだけでは
役が置かれた状況や、生きてきた人生の厚みが
観客に伝わりません。


「スクエア」の役者さんを、蜷川さんは崩していきます。
ほぐす、とも言えるかもしれません。
「声を潰すようにして。」
「変化球投げて。」
「人に寄っかかったり。」
役者の動作が不自然な時には
実際に動きを指定することもあります。


日常の生活で「スクエア」の人はいません。
舞台に立つと、緊張すると、あるいは
演じることにリアリティーを感じられないと、
この「スクエア」が病気のようにやってきます。
こういうわたしも完璧な「スクエア」役者なのですが(自覚症状あり)、
ここから抜け出す薬があれば高い金出してでも買いたい、という感じです。
あらゆる「スクエア」役者にとって、
自分が柔軟な演技で舞台上を生き生きと駆け回れたなら・・と
本当に「スクエア」を脱することが望みなのです。
今よりどんなに演じることが楽しくなることか。

生まれ持ったもの、もしくは経験がものを言う
と思っていたのですが、
自ら姿勢を崩したり
声を変えたり
舞台上の他の役者と関わったりすることで
少しずつ改善していくものだということがこの稽古見学で分かりました。

2009/08/17

26日目、私の心の流れ(前半)


稽古見学が始まって、1ヶ月が経ちました。
刺激的な毎日でした。

蜷川さんの創造の瞬間を目撃出来る!と感動し、
名立たる役者陣を前に緊張した初日。
「さすが」の連続でトキメキ続け、
蜷川さんの演出を一言も逃すまいとペンを動かし
右手は軽い腱鞘炎に。
稽古のレベルの高さに見入り、
スタッフの行動の速さに驚く毎日。
一方で、稽古場の張りつめた緊張感に馴染めず
てきぱきと動くスタッフの隣で見学者という居場所のなさに悩み、
へとへとに疲れ。

そんな状況にもやっと慣れてきた頃に、
突然舞い込んだ絵の話。
「わ・・わたしに出来るかな?!」と思いつつも
貪欲に食らいつき、巨大な絵を描くことに。
モデルに似てないし上手くないし
立体感が出ないし思い通りの色が出せないし、
作業場で他のスタッフが居る中で描く心細さ、緊張。
そういうものにくよくよ悩み始める。
それに加えて今までの自分の制作態度を悔やみ、
なけなしの自信も喪失。
たたみかけるような孤独バースデー。
気を抜いたら涙が出てしまうほど
何故か自分を追いつめる日々。暴飲暴食。
そんな時に先生や先輩や親や友人に助けられ、
徐々に前向きに。
絵が一区切りしてホッとしたせいか、
稽古場に行く時間が遅くなる。
生活も堕落する。
さすがにいけないと思い、再び自分を律することを誓う。
そんなこんなで昨日の夜、帰り道。
「わたしは何でも出来る。」


昨日、次に描く絵「ビデにまたがる女」のキャンバスを買いに、
新宿に行きました。
久しぶりに演劇も観ました。
良かったです。正統派でした。
オリジナルの史劇で、戯曲に厚みがありました。
演出にも一部挑戦がみれて上手いと思いました。
その演劇の言わんとしていることはこれです。
「隠されていることは知らないままの方が幸せだ。
 真実を知ったところで何になる?」
とてもテーマがはっきりしていたので、見る人の誰もが
この問題を考えさせられたのではないでしょうか。
わたしも帰り道、この事を考えていました。
演劇のこと、自分のこと、人生について。
電車に乗る人々を眺めながら
世の中にはいろいろな人間がいるなぁ、と感じました。
あまりにも当たり前のことですが。
急に深い実感のようなものがありました。

そういうわけで、家につく頃には
「わたしは何でも出来る。」
という考えに至っていたのです。(笑)

絵の件に限らず、
わたしが頼まれるようなことは、
わたしは必ずやり遂げることが出来ると思います。
(誰もわたしに3億円貸してとは言わないはずです)
わたしが頼まれるようなことは、
わたしは必ずやり遂げることが出来る。
本気になれば。
努力すれば。

時間的な衝突はどうにもなりませんが、
怠けや甘えを制することは出来ます。

こういう時期も長くはないかもしれませんが、
今、自分の身に降り掛かっていることはすべて
頑張りたいと思います。


2009/08/16

25日目、さすが&さすが


このブログを始めて、何度「さすが」と書いたことでしょう。
今日は2つの「さすが」があります。


ひとつめ。

昨日課題だった3部3幕頭。
新たな登場人物がたくさん、しかも
同じ俳優が名を変えて出てくるシーンです。
複雑で初見の観客にとってはなかなか難解です。

昨日は完成せずに稽古を終えましたが、
今日稽古が始まって1発目にやってみると、
なんと!素晴らしいシーンになっていたのです!
話者があちこちに飛び、観客がついていけないと思っていました。
しかし見事に目線の誘導に成功し、
美しさまで感じさせる完成度でした。
ということで、ひとつめは役者さんへの「さすが」です。


ふたつめ。

ネタバレになるかもしれないと思い、ブログには伏せていたことがあります。
しかし限界です。言っちゃいます。
演出家はこのシーンに、ある工夫をしているのです。
それは「スローモーション」。
台詞は普通の速度で、動きだけスロー。
昨日の稽古の時点では、このシーンをスローモーションにすることが
果たして成功なのかどうか、私には分かりませんでした。
しかし今日のものを観てしまったからには言い切れます。
成功です。
スローモーションにすることで
観客は俳優の動きを追う余裕が生まれ、
悪口を言い合う登場人物の構造が分かりやすくなりました。
さらに
この場面の間ずっと舞台を覆っている白いカーテンと相重なり、
幻想的で美しい「夢」のトーンがよく出ています。

登場人物がゆっくりとはけていく中、
転換もスローで行われます。
椅子や机を床に付けたまま丁寧に押して出てくる様子は
物が自動的に動いているかのように見え、不思議な体験でした。

蜷川さんの的確なアドバイス、もともと力のある俳優のさらなる努力、
この2つが合わさり
本当に素敵なシーンが生まれました。

役者への信頼、
「スローモーション」というチョイス、
そして役者を導く的確なアドバイス。
ふたつめの「さすが」は演出家に向けてです。

2009/08/15

24日目、一丸となって


3冊目に突入しました。

いつも1日3場ぐらいのペースで進めて来ましたが、
今日やったのは1幕の1場のみです。
しかしこのシーン、とても難しいものでした。

新たな登場人物がたくさん出てきて、
話があちらこちらに飛んでいきます。
しかも1幕で主要な役をしていた俳優が
再び違う役に扮して登場するので、
観客は混乱することでしょう。
もはや頭では処理出来ない複雑さなので、
役者や演出家にとっても大変です。

まずは、
読み合わせで役と俳優を一致させることから始まりました。

そこで蜷川さんのお話。

「イギリスでは主役3人ぐらいを除き、
 大物の俳優であっても快く何役でもやる。
 波の布を扱うことだってやってくれる。」
 →「主要な役の人でも」「有名な俳優でも」
  というところを強調しているところからみて、
  蜷川さんがとても役者さんに気を使っていることがわかります。

「イギリスの俳優や観客はそれでなれているけれど、
 日本は慣れていない。
 あるゆる俳優が複数の役を演じるという前提が、日本にはない。

 ここで制作さんにお願いしたいのは
 事前にこの演劇がこういう構造をしていることを
 観客に伝えておいてほしい。

 俳優は、上手く別人みたいにデフォルメして。
 そこは大物だから大丈夫だと思う。

 観客がパンフレットを見始めたら負け!」
 →この、「これは勝負だ!」と挑む態勢が蜷川さんらしいです。
  これを聞いたら誰もが「よし頑張ろう」という気になると思いました。


次は立ち稽古です。
観客に分かりやすくする為のダメ出しが続きます。
・位置に気をつける
 台詞が終ったらいつまでも同じ場所に留まらず、
 両側の客席を意識しながらみんなに顔を見せていく。
・寄り過ぎないように
 (一方で、「そこ、グループで固まれ」という指摘も)
・観客の目線を操る
 喋る時に歌舞伎みたいにふっとカラダを大きく見せると、目線がいく。
 名前が出た人の方を見たり、周りの反応をやや大きくする。

要するに、
みんなで協力し合わないと
このシーンは良くならないということです。

自分が舞台上で主張するところと
他の人を立てるところ、
俳優はこれらを判断しながら位置を決めていかなければなりません。

ある俳優が、独自の判断で面白いことをしていました。
ハンカチで靴の泥を取るために、
皆が立って歩いている中、しゃがむのです。
そして自分の台詞が来たときに、
立ち上がってハンカチを掲げました。
蜷川さんはそれに対して何も言いませんでしたが、
こういったそれぞれの工夫が生きるシーンだと思いました。

2009/08/14

23日目、2つのシーン


今日は対照的な2つのシーンの演出でした。

・男女関係のこじれで荒れ狂う激情のシーン
 (参考として稽古始めに見た映画:
   ケネス・ブラナー『ハムレット』
   ピーター・ブルック『雨のしのび逢い』)

・死んでしまった妻子、和やかな仲間たちとの思い出のシーン


22日目、読み立ちのバランス


2日間休みがあったせいか、少しのんびりした雰囲気でした。

新しいシーンに進む時にも
急に立ちではなく
読み合わせを1・2回やりました。
読み合わせを挟むと、少し稽古が失速します。
最近は
読みをせずにいきなり立ち稽古、
ということがざらにありました。
しかし今日は丁寧に読みを挟んでいきました。

そんなこんなで2冊目も、(読みですが)最後までいきました。
稽古が始まって1ヶ月です。


写真はありませんが、朝、稽古用の絵が完成しました。
背景を少し足して、肌を全体的に白く塗りました。

そしてついに、舞台上に我が子(絵のことです)が登場しました。
恥ずかしいような複雑な気分でしたが、
激しい非難などが無かったのでとてもホッとしました。

本当に、ホッとしました。
家に帰ってアイス食べて爆睡してしまいました。

稽古場での緊張と、絵を描く時の肩身の狭さ
また、近頃やたらと心をむしばむ孤独感にけっこう疲れていたみたいです。
こんなことで疲れるなんて!
昔より打たれ弱くなっています。

なにはともあれ。
『ビデにまたがる女』の絵も頼まれたので
間接的に「私でいいんだ!」と察し、元気快復です。


2009/08/12

休み

昨日は過去の名画を観に、
上野にある国立西洋美術館に行きました。

あんなに美術館を楽しんだのは初めてだと思います。

絵を描くって、似せることだけじゃない。
作家の存在が見えてくるものほど生き生きしていて面白いと思いました。


正直、絵っていまいち理解できませんでした。
劇場は好きだけど、美術館の楽しみ方はよく分りませんでした。

でも、自分で一生懸命絵を描く経験をしたおかげで、
なんだか絵画を楽しめるようになったみたいです。
特に、筆のタッチに興味がわきます。
画家が何を表現しようとしたのかがタッチからうかがえる気がします。

明日の朝、心を弾ませて筆を握ることが出来そうです!

2009/08/10

21日目、10分演出家スピーチ

「文学者の傲慢に付き合うつもりはない」

昨日もブログに書いた、演出家を悩ませるシーンのことです。

普段は、なるべく削りなるべくシンプルに
役者の演技で勝負する蜷川さんですが、
このシーンについては凝った仕掛けを発案します。


稽古場内でも2・3人しか知っている人がいないような絵画です。
舞台上の人物とダブらせ、その上
「本当はこの人達は違う場所にいます」ということは、
聴覚だけではとうてい伝えきれない、という演出家の判断です。

「このシーンは生意気なの。苛立つ!」
「このト書きは出来ない」

しかし、必ず最後に付け加えます。
「僕は作家を尊敬している」

明日は休みです。
美術館にでも行って、絵の表現を見て来ようかと思っています。

2009/08/09

20日目、演出家キラキラ


↓描きました

演出見学のつもりが、思わぬところでスタッフ部屋入り。
これは稽古で使う用のニセ油画です。
あと2日後くらいにこの絵が必要になるシーンに入るので、
超特急です。
必死で描くので、どうか、水野さんに似ていってください!



若手俳優へのアドバイスは
自分に置き換えて聞いています。

もちろん演出家志望として
ダメ出しをするタイミングや内容が
大いに勉強になっています。
また一方で、
自分が今後役者をする時のために
忘れずに覚えておきたいコツがたくさんあります。


なかでも覚えておきたいのは、
「役の言動に、自分の日常を当てはめる」ことです。

人と人との間で絶えず発生する「気まずさ」や
「苛立つ気持ちを抑える」ことは、
誰しもが今まで何度も経験してきたことです。

よっぽど特殊なものを除いて、
普段日常で起こりうる人間のあらゆること・またはその誇張の連続を
舞台上で役者が演じることが、演劇だと思います。

しかし、いざ役者をやっていると
ついつい頭でっかちになり
あれこれ考えなくてもよいことばかり難しく考え、
結局この「日常のあるある」を忘れて演技してしまうのです。
・・まあこれは私の場合だとは思いますが・・
どっちにしろ、
「あ、こういう空気感あじわったことあるな」
「あの時のシチュエーションと一緒だ」
と、自身に引き寄せて役の言動を理解できれば、
あとは再現すればいいだけ・・・です。
これがまた難しいところではありますが。



今日の稽古の後半は、
作家の無理難題に対する
演出家の戦いでした。
売られた喧嘩は買うしか無い!

マネの描いた『草上の朝食』と
舞台上の人物がダブり、
しかも同じ舞台上にいながら
2チームに別れていて、
2つの話が絡み合うように進んでいく・・

何ですかそれ!と無視したくなるト書きですが、
ここを舞台にしてみせるのが、演出家の腕の見せ所です。

「ほぼ即興で」の蜷川さんも、
このシーンに関しては
あらかじめ大まかな演出法を考えており、
稽古場全体にざざっと説明します。

その後の稽古場がシーンと静まった感じ・・。
演出法について、それぞれ立場によって思うことがあったのだと思います。

私はというと、
「そう来ましたか!ブラボー
 ひゅーっ!さすが!
 絶対面白くなる!
 あ〜でも悔しいな。なんで私もそれを思いつかなかったんだろう。」
ってなことを思っていました。

スタッフさんにとってはなかなか難しいことで、
「さあどうしよう」と
考えているようでした。

経験上
考えてきた演出法を発表するのは楽しみであり、
一方で大変緊張する瞬間だと思います。

私から見て、
今日の演出法発表の時の蜷川さんは
キラキラしていました。
自信があったように思えます。
「これだ!」と思っていたのだと思います。
その演出家の見えている理想図をぜひとも実現させたい、
きっと素晴らしいはずだ!と、
見学でありながらも思いました。

これです。
「キラキラした演出家」


夢を持った人間には
人が付いていくのだ


2009/08/08

19日目、切り上げる

稽古場の空気を読むことも演出家の仕事です。

今日は役者待機席がちらほら空いていました。

蜷川さんは稽古場全体の空気を感じて、

「みんなそろそろ疲れてきちゃったかな?」

と、稽古前に。


そしてなんと!本日の稽古を3時間で切り上げたのです!

「みんな飽和状態でぼーっとしてるから

 役者さんは台詞覚えたり、

 スタッフさんも休むなり何なりしてね」

たしかにここ2日間、6時間くらいの長い稽古が続いたので

疲れが隠せなくなってきたのかもしれません。

6時間といっても

役者もスタッフも1・2時間早く来て、

稽古が終ってもそうすぐに帰ることはありません。

スタッフさんなんて、毎日9時10時まで残って作業してるそうです!

そう考えると、

稽古場の滞在時間はかなり長いのです。


私の劇団では、みんなの都合を聞き、

より多くの役者さんが参加出来る日時を割り出して、

予定表を作ります。

そして休みの日をねらってバイトや用事を入れるわけです。


コースト・オブ・ユートピアの稽古が始まる前に「あれ?」と思っていました。

予定表がないからです。

(顔合わせの日、舞台稽古に入る日、などの

 大まかな予定が書かれている用紙はありましたが、

 後は全部空欄になっていました)

テレビや雑誌でも活躍するような役者さんばかりだから、

さぞかし綿密な、分単位の予定表が組まれているのであろうと

思っていたのですが・・・。


逆です。

次の日の予定は、稽古終わりに決定します。

稽古場には、大きな模造紙に手書きで書かれた予定表があります。

そこに次の日の集合時間を書き込んでいくのです。

ということは・・・

役者さんは「2ヶ月まるまる」

この演劇に予定を空けておかなくちゃなりません!

おそらく他の仕事もされていると思うのですが、

これは、私たちにはありえないことですね。

私たちだったら「バイトしないと生活費が!」ってわけです。


この格差。


また、稽古場が固定であるということがかなりの強みです。

小さい劇団は自分達のアトリエを持っていないことが多いので

公民館などの格安な場所を必死で探して、

いち早く予約して場所をおさえておく必要があります。

公民館の空き具合によって稽古日程が左右されることがざらにあります。

(稽古したい時期はいつも大学が閉まっています。怒)

ということで、早く日程を割り出さないと

町のお琴教室に先を越されるのです!


この格差。


この格差

  格差・・・


私たちに、というか私に、

勝ち目はあるのでしょうか。


描きました

ネットでいろんな肖像画を見ながら、
水野さんの顔をはめ込んで描いてみました

が・・・

あまりにも水野さんに似ていなくて
悲しい気持ちになりました。

しかも1枚目、明らかに仲間由紀恵さんっぽくないですか?

明日の稽古もありますので、もう寝ます。

2009/08/07

18日目、台詞を大切にする


蜷川さんは、台詞を大切にする演出家です。

今日の役者へのダメ出しは、
動きに関するものが多数ありました。
それも、「言葉」を際立たせるための
動きの抑制でした。

これぐらい高いレベルの役者になると、
積極的に舞台上を動き回ります。
「さすが」と思わされることが多いのですが、
時として動いている役者が目に付いて
台詞に集中がいかないことがあります。

こういうとき蜷川さんは
「その移動は必要ないだろう」
「立たずに、座ったままでその台詞言って」
と、役者の動きを抑制します。
そうして視点の誘導を今まで何度も行ってきました。

また蜷川さんは、意図的に
「このシーンは言葉でいく」
と言い、極端に動きをカットしていく場合があります。

この「言葉のシーン」が今日稽古した中にもありました。
登場人物が亡くなったことを知らされるシーンです。
この場合、役者に相手との距離を保つことを要求します。
動きを極力少なくし、
聴覚と微細な視力のみに訴えかける演技です。
たしかに、
友人が死んだと聞いて嘆き悲しむ演技を
劇的に表現するよりも、
悲しみを役者が胸の中で握りしめ、耐え、
震えるような声を漏らす方が、
ぐっとリアルに近付きます。

動きを減らし「台詞を大切にする」ことが
蜷川さん演出のポリシーのような気がします。
(もちろん、視覚的に興奮できる場面も多数ありますが)



また、大切にしているポリシーとして思い当たるものが
「反応」です。

「ビリヤードの球が次々とはじかれていくみたいに、
 言葉や事件に反応していって」
と、蜷川さん。
イメージしやすいし、
成功したらとても面白いものになりそうです。
(こういった表現が感動的に上手いのも、蜷川さんの特徴ですね)



ひとつ・・・
もしかしたらわたし、小道具の絵を描くことになるかもしれません!
水野美紀さんの特大肖像画です。
今日のブログを書いている間もそのことが頭から離れなくて、
早く絵を練習したくてウズウズしてます。
見学をしつつ、何かひとつでもあの現場のお役に立てることがあれば
これほど嬉しいことはありません。

17日目、即興




「固有名詞がある役を持ってない人、全員舞台上に上がってきて」

この言葉から始まりました。

「ここで、武装した民衆を出そう」

スタッフさんは急いで剣や銃、布を
どこからともなくかき集め、
役者はどんどん武装していきます。

一通り形ができてきたら、さっそく「やってみる」

こうして、わたしの目の前で
戯曲には書かれていない演出が生まれました。



戯曲の中に、

 詩人がペンを持って書き始めた時、
 わたしたちはもう創造の瞬間を見逃している

といった台詞があります。
ほんとうにそうだと思いました。
稽古場で、毎日あらゆるものが生み出されています。
創造の瞬間を見逃さないようにしないと・・

2009/08/05

16日目、キャラクター


今日の稽古では、
池内博之さんのベリンスキーや
別所哲也さんのツルゲーネフの
キャラクターの確立について、
かなり具体的な細かい指摘がありました。

台詞の間違いを正すためのダメ出しではなく
「あ〜いるいる、こういう人!」
とか
「あ〜、こういった微妙な気まずさってよくあるよね」
とか、どこかで見た・感じたことのある性格や空気感を思い出しながら
稽古を見学していたので、
とても熱中して面白いものでした。


そして蜷川さんは、稽古のお終いに
男性インテリ集団を舞台に大集合させ、
「キャラ付け」について話されました。

・インテリゲンツィア達は全員、基本的に「知的である」

・しかしいろいろな登場人物の中にもそれぞれ個性がある

・その個々のキャラクターを、
 稽古を何度も繰り返すあいだに発見し、深めていく
 キャラが被らないように注意しながら、
 いろいろ怖がらずに挑戦してみること

・具体的に
 台詞の行間を読む(「―――」や「・・・」には性格が出る)
 ゲルツィンの回想録を読んで参考にする
 などの取り組みをするとよい

・キャラクターを出していくことは、
 この劇の説得力を上げることにもつながる
 (ウン、ゲオルクはこんな奴だけど魅力ある人間だから、
  ナタリーが惚れるのも無理ないな、など)


キャラ付けでいろいろ遊べる段階にくると、
役者の楽しみも増すと思います。
9時間の超大作、
観客も役者も没頭して時を楽しむためには
個々のキャラの違いがはっきりしていることが重要です。


蜷川さんは今日たっぷりと丁寧に、このことを話されました。
明日以降の役者の挑戦やいかに・・!!?

2009/08/03

15日目、演出家は演技上手?


あれ・・・あたし、演技上手いんじゃね?

などと思うことがありました。
演出家として作品に当たっている稽古中、
「違う違う、こういう風にやってみて!」と
みんなの前に出てやってみせる時です。

しかし
いざ自分が役者として演劇に関わる時、
自信過剰であった、と
深く絶望するのでした。


この話題が、今日の稽古で出てきました。
わたしはここ数年、この奇妙な現象に悩まされていたので
解決、というか
「よくあることなんだ!」「しかも蜷川さんにも!!」
と、少しスッキリした気持ちです。

私はこんな演劇人生を送って来ました。
劇団200億で演出をやっては
他の劇団の役者をやり、また
演出をやりたくなって、
それが終ったらすぐに役者の話を見つけてくる。
演出と役者の行ったり来たり。
演出をやったあとは無性に演じたくなって、
その後にまた演出に専念したくなる、という
繰り返しです。

演出をしている時って、
自分の演技がなかなかイケてるような気がして
ならないのです。
しかし「役者」をやってもどうも上手くいかない。



「燃え尽き症候群後の感情先走り演技」に陥り
なかなか調子が上がらない、
いわばスランプ突入の俳優に、
蜷川さんがこういったことを話されました。

「演出家は役者に演技の見本をみせる時
 『やってみせる』という構造があるために、
 普段より上手くなる。
 『やってみせる』と恥ずかしさが減るし、
 それによって余裕ができる。
 また、役者にポイントを分かってもらうために
 強調する箇所を大きめにやろうとする。
 実際、僕は俳優から演出家に転身して、
 演技が随分上手くなった。」

行き詰まる役者に
余裕が大切だということを知ってもらう
という意図で、話されました。
しかしわたしにとって
大変衝撃的な話だったのです。
不思議な体験の確証を得た上、
その原因まで知ることが出来たのです。

なるほどなるほど。
演出家の演技の上手さは「やってみせる」という構造からくる
「余裕」なんですね。

まぁしかし、やっぱり演出したあとに
役者をやりたくなるのは
変わらないんでしょうね・・・(笑)

2009/08/02

14日目、演出家ってなんだろう


「あなたは何になりたいの?

 演出家です

 演出家って何するの?

 ・・・・」

ここで、自分を満足させる一言の返答がまだ見つかっておらず、
いつも困るところです。
人によって違うだろうし、
あたしは「作演出」をしたいほうだし・・
などと考えると、より一層わからなくなります。



蜷川さんといえば「演出家」。
では、蜷川さんはどういう役割を担っているのでしょうか?
思いつく限り並べてみようと思います。

・演劇のテーマや中核を掴み、
 関係者でそれを共有できるように説明する
 (今回だとこのような説明→
  哲学や理想を語り合っていた革命家と、
  その私生活(恋愛)への取り組みのギャップが面白い。
  また、時代は違っても、人間の本質的な
  恋愛や友情は変わらない。)

・団体の方向性を決める
 (簡単にいうとストレートプレイかそうでないか、など)
・理念を伝え、エネルギーを充満させる

・本番までの進め方を決める
 スケジュールは演出部と話し合って、かな?
・稽古で指揮を執る(実権は半分演出補にある)
 どのシーンをやる、とか
 休憩のタイミング
・稽古場を和ませる
・引き締める

・「蜷川幸雄演出」という名のもと、
 次々と人を集める
・役者、スタッフ、制作を繋げる

・舞台セットや衣装、振付け、
 音楽担当など各部門の人に
 自分のイメージを伝え、
 本番までの間、相談しながら決定していく
・演出を考える
 (主に台本のト書きの文章を
  現実の舞台上の動きにしていく作業)

・役者の演技教育
・役者にダメ出しやアドバイスをする
 (演技向上の手助け
  理想の演技に近づける
  癖を注意する)
・役者から動きや演技を発掘する

・客観的に見る「目」になる
・素直な感想を言う
 良いと言う、ダメと言う
 →どっちにしろ関係者が
  現在の自分達の立ち位置を知る、という点で
  安心することが出来る
 (自分達が今いったい何をやっているのか?
  何がもたらされているのか?などを
  見失うこと程
  不安なことは無い)

・役者やスタッフの稽古場姿勢を教育
 (役者であったら
  「ダメ出しはちゃんと台本に書き込んで、
   必死になって直せ」など)
・演劇史を語る、教える(講義)

・その演劇の責任者になる


並べてみて思ったのですが、
ここから見える「演出家」は
ものすごく立派ですね・・・


演劇スタイルは違えど
演出家たる者、
上記の箇条書きを全て担うべきだと思いました。
特に人付き合いの面です。
どこまでスタッフに美術を託すかなどは、
各演出家によってかなり違うところなので。



最後に。
戯曲を読む点で、私が反省すべきことがあります。
自身の体験や思想にむりやりねじ込んで考える傾向があります。

人による演出の違いは
「戯曲に歩み寄る」
「戯曲を引き寄せる」
の(割合の)違いだと思います。

私の考える演出家の
演出上の個性というものは・・・



私は戯曲を引き寄せてばかりいたので
作家に嫌われるタイプですね。
そんなことしてたらいつか天罰が下ります。
「100%引き寄せる」はありえない手段ですね。


2009/08/01

13日目、稽古場全体


翻訳の広田さんは毎日稽古場に訪れ、
皆の引っ張りだこです。
今流行り(?)のドラマトゥルクって、
こういう仕事なのかなあ、と思います。
広田さんは翻訳のために膨大な資料を読まれただろうし、
時代背景や人物像を一番理解しているであろう方です。
広田さんの隣には必ずと言っていい程
質問をする役者さん、または演出家がいます。

一方で、
ケータリングのお菓子を補充したりお茶を出したりする
若い人もいます。
おそらく事務的な作業をしつつ
稽古場をよりよい空間にしようと働いているのでしょう。

また、子役の少年たちの世話をする方もいます。

「演劇関係者」と言ってもいろいろな仕事があるなあ
と、つくづく思います。

稽古場は人間の集まる場所です。
人と人がせめぎ合い、
意見や作業を積み重ねて1つのモノを作っていきます。
そして蜷川さんを筆頭に、かなり高い完成度を目指して・・・。