2009/08/24

32日目、解釈の自由


戯曲を自分の感性で読み解いていくことは、
楽しくてやりがいのある作業だと思います。

この現場では、解釈を演出家が独り占めすることはありません。
見学に来る前は、これほど大きな団体だから
さぞかし徹底した解釈の統一(もちろん演出家による)が
行われるのだと思っていましたが。

例えば音響。
音響さんが自由な発想で戯曲に書かれていない音を稽古で流します。
「天地がひっくり返った」というト書きに対して、
ガラスが割れたような音を流しました。
結局ここは役者の演技だけで表現しようということになりましたが、
蜷川さんは音響さんをおおいに評価しました。

また、役者にも人物像や言動の理由、ト書きの表し方など、
あらゆる場面で解釈は託されます。
今回の戯曲ですが、登場人物が全部で70人を越えるとか・・
それだけ壮大な物語であれば、
当然いろいろな解釈が発生するし、
解釈の違いによって印象の違いがひらいていくでしょう。

蜷川さんが、
「娼婦って何?」という台詞のある役者さんに
こんな質問をしていました。
「その言葉は、本当に分からなくて言っているのか?
 それとも知っていてあえて当てつけで言っているのか?」
細かな解釈(選択)によって、
キャラクターが形成されていく。
これも、人物像を左右する重要な選択です。
役者さんは
「本当に分からなくて言っている」
と答えました。
蜷川さん自身も、この選択の答えは用意していたはずです。
しかし、意見を言わずに役者に尋ねるところから、
解釈が託されていることがわかります。

衣装や美術に対してもそうです。
各自の読み解き方で自由に発想していきます。
「◯◯であるはずだ」という決めつけをなるべく
排除していかなければならないので、
自由な発想というのは、なかなか難しいものです。


もちろん、蜷川さんが何も言わないわけではありません。
譲れないポイントがあったり
より効果的な見せ方がある時には、
すばやく指摘します。
しかし
「違うだろ、そこは◯◯にしなきゃおかしいだろ」
という決めつけた言い方ではなく、
「◯◯にしてくれるかな」
「◯◯でやってみてくれる」
など、指示が「提案」調です。


私はこのことを受け、
何でもかんでも自分の解釈が一番だと思い
自分色に染め上げようとしていた過去を振り返り、
自己反省の日々です。
今後、この稽古場のようにみんなで読み解く環境を
作っていけるのでしょうか?
怪しいところです。
なぜなら、もうすでに
この稽古場に対しても
「いやいや、私だったら絶対こうするけどな」
とか
「こうしなきゃ変でしょ!」
などという意見を言いたくてしかたない時がしばしばあるのです・・・

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